
シュールな「あるあるネタ」でブレイクしてから三十余年、ついに50代を迎えたふかわりょうさん。「五十にして天命を知る」とはいかず、少子化問題に負い目を感じたり、物欲に振り回されたりしながら、それでも軽やかに独身生活を楽しんでいる。
そんな中年の日々を綴ったのが、最新エッセイ『中年よ、すねを剃れ』(中央公論新社)。「中年の、中年による、中年のための1冊」について、ふかわさんに執筆背景をうかがった。
50歳で帯番組が終了。胸に湧き上がったのはワクワク感

──『中年よ、すねを剃れ』は、中年世代に寄り添い、そっと勇気づけてくれるようなエッセイ集でした。今回、「中年」をテーマにしたエッセイを執筆した背景を教えてください。
ふかわりょうさん(以下、ふかわ):僕は、特に掲載するあてがなくても日頃からエッセイを書いています。頭の中を整理するために、日常で感じたこと、旅行先での出来事なんかを文章にしているんですね。それがある程度溜まってきたので、本にできないかと思って。面識はあったものの、これまでお仕事をしたことがなかった中央公論新社の編集者の顔が浮かび、ひとまず読んでもらうことにしました。
ちょうどその頃、僕は「氷河期世代NIGHT」というDJイベントを立ち上げたんです。氷河期世代はネガティブな文脈で語られることが多いですが、もっとポジティブに捉えたくて。そこでこの本も、当初は氷河期世代に向けたものにしようと思いました。ですが、編集者と打ち合わせを重ねる中で、もっと氷河期濃度を薄めて、同世代の人たち、そしてこれから中年になる人たちに向けた僕からのお手紙のような本にしたいと思うようになりました。
続きを読む
その方針が決まってから「これはカットしよう」「こういうテーマでもう1編書き足そう」と調整し、今回の18編がそろいました。最終的に、氷河期世代を含む中年の、中年による、中年のための1冊になったと思います。
──ふかわさんは、今年52歳を迎えました。ご自身が「そろそろ中年に差し掛かってきたな」と感じたのは、どんな時でしたか?
ふかわ:芸人にとって、「おじさん」「中年」って便利な言葉なんです。ですから、30代半ばくらいから、「おじさん」を名乗っていました。
でも、中年を実感したのは40歳を過ぎてから。晩酌で日本酒や焼酎の頻度が上がり、麹が生活リズムに含まれるようになったことで、「ああ、中年だな」と強く感じるようになりました。あとは、信号を諦めるようになった時。以前なら走って渡っていたのに、「次でいいか」となるんですよね。
──レギュラー番組が終わった心境も書かれていましたね。
ふかわ:そうですね。10年以上、MCを続けてきた帯番組が終わりましたが、50歳という節目の年でもありましたし、一回足を止めるきっかけになりました。40代より50代のほうが、立ち止まって景色を楽しむ余裕が生まれましたね。
──レギュラー番組がなくなることへの危機感や不安はありませんでしたか?
ふかわ:不安が膨らむかなと思ったら、「まあ、なんとかなるか」という謎のプラス思考が芽生えてきて、むしろちょっとワクワクし始めたんです。日常の細かなことに関してはネガティブな思考回路が働きますけど、「こういう時こそ、帆を広げて大海原に出るべきじゃないか」という気持ちが内側から湧き上がってきて。おそらく、こうした感覚も年齢によるものなのかもしれません。これまで生きてきた中でいろいろ経験したこと、自覚はしていなかった自信から、プラス思考が発動したんでしょうね。
続きを読む

──エッセイでも、50歳を迎えて「R-1グランプリ」に挑んだ時のエピソードが書かれていました。若い頃だったらプライドが邪魔したかもしれませんが、照れや抵抗もなく挑戦できたのは「中年の賜物」だと書いていましたね。
ふかわ:そうですね。若手ばかりの小さな小屋でネタをやることに抵抗を感じてもおかしくないのに、そんなこともなくて。むしろ「こういう挑戦が大事なんだ」と感じました。
それに、帯番組が終わった時、のちのち「あそこで終わってよかったんだ」と言えるようになりたいと思ったんですね。そう思えるようになるためにも、今を充実させようと思いました。
この本のテーマのひとつは、「思い通りにならないことが人生を豊かにする」です。確かに、もしも帯番組があのまま続いていたら、それなりの生活をしていたかもしれません。レギュラー番組が終わったのは思いがけないことでしたが、それでも今の僕は「あの時終わってよかった」と思いつつあります。頭の中で考えたことだけでなく、そういう実体験を伝えたかったんです。なので、「中年よ、すねを剃れ」と(笑)。ちょっと話が飛躍しましたけど。
──インパクトのあるタイトルですよね。
ふかわ:タイトルは最後の最後に決めました。日本語としては「中年よ、すね毛を剃れ」が正しいのかもしれませんが、そういう引っかかりも含めて気に入っています。
続きを読む
──表題のエッセイでは、中年男性がハーフパンツ禁止令を出され、すね毛が排除される世の中について語っています。
ふかわ:SNSでは、中年男性のパーカーやハーフパンツの是非を問う論争が起きていますが、そんなの言わせておけばいい。そういう向かい風も楽しめたほうがいいと思うんです。
もしクラーク博士が生きていたら、きっとこう言うだろうと。今度、北海道までお詫びしに行こうと思います(笑)。
──おばさんに比べると、おじさんは世間からの風当たりが強いですよね。
ふかわ:これもエッセイに書きましたが、僕はビジネスホテルの「ドーミーイン」が好きなんです。ドーミーでは室内着にスリッパのままで大浴場を利用できるのですが、温泉につかって部屋に帰る時、自分のスリッパがなくなっていることがあって。せっかく体を清めたのに、知らないおじさんのスリッパを履かなきゃならない時の、あの何とも言えない気持ち……。52歳のおじさんが、知らないおじさんのスリッパに対して恐れを抱かずにいられません。きっと平気な人もいると思うけど、中年男性って意外と繊細で傷つきやすい人が多いんですよ。でも、そういう困った状況すら、楽しめるといいなと思って。
──どのエッセイからも、日々を楽しみ、心豊かに過ごすふかわさんの姿がうかがえました。その秘訣、普段の生活で意識していることを教えてください。
続きを読む
ふかわ:遊園地でワイワイはしゃぐような楽しさでなくても、日常の中にはささやかな幸せ、身の丈に合った喜びがたくさんあります。そこに目を向けることが大事だと思うんです。
冒頭に「中年の車窓」というエッセイを載せましたが、この本では全体を通して僕が中年になって見てきた景色を綴っています。あくまでも僕の車窓の景色ではありますが、この本を読んだ次の日から目を向ける場所、景色の感じ方が変わるかもしれません。中年には悲哀もありますが、けしてそればかりではない。この本を読んだ中年の皆さんが、それぞれの車窓を楽しんでもらえたらうれしいです。
僕にとって、小説は「飲み物」です

──実際、ふかわさんは日常を軽やかに楽しんでいますよね。ラジオの公開収録に合わせて山形県の瀬見温泉を訪れた時の紀行エッセイでは、観るもの、食べるものをじっくり五感で味わう姿が印象的でした。その感性がとても素敵です。
ふかわ:ありがとうございます。仕事で山形県に行くだけのエッセイですが、中年になった今、1泊2日の新幹線の旅がすごくキラキラして、書かずにいられませんでした。派手な事件があるわけではありませんが、小さな起伏にも人生の旨味がある。ふらっと入った店で、お酒をたしなむ時間も中年ならではの豊かさですよね。面白がらせたり笑わせたりするのではなく、僕なりにありのままを描写して伝えたいと思いました。
続きを読む
──新幹線で本を読んだり、エッセイの中に向田邦子や内田百閒の名前が出てきたりと、読書家の一面もうかがえます。やっぱり読書はお好きなのでしょうか。
ふかわ:そうですね。まず、本というもの自体が好きですし、読むのも書くのも好きです。書く行為には産みの苦しみもありますが、それも僕は大事だと思っていて。AIにお任せして無痛でエッセイを書けるようになったら、きっと飽きてしまうと思うんです。痛みを伴うと知っているからこそ、先人たちへのリスペクトも大きいですね。「本を手にする喜びをありがとう」という思いがあるので、積極的に作家さんの名前を載せました。
──お好きな作品の傾向を教えていただけますか?
ふかわ:いわゆる文豪の作品が好きです。今カバンに入っているのは、三島由紀夫の『豊饒の海 奔馬』(新潮社)。これ、厚めの四部作なんですけど、もう3周くらいしています。
年に1回見たくなる映画、冬に聴きたくなる音楽があるように、「この時期はこの世界に浸りたい」という思いで、本を読むことが多いですね。しかも、どちらかというと古い作品に使う時間が多いかもしれない。ウイスキーの味を知るように、文豪の本も年代物を味わうような感覚で読んでいるのかもしれません。
──『豊饒の海』は、どういうところがお好きなのでしょうか。
続きを読む
ふかわ:やっぱり三島由紀夫は、描写が素晴らしいですよね。「月が街を照らす情景を、こんな言葉を使って表現するんだ!」という驚きと感動があります。しかも奇をてらっているわけではないのに、生々しく伝わる。その美しさに心をつかまれますし、転生をモチーフにした世界観もとても好きです。
電車ではスマホを見る人も多いですが、移動中に本を読むのも家とは違う楽しさがありますよね。10代、20代の頃は旅先で本を読むタイプではなかったので、それも中年になってから覚えた楽しみです。
──先ほど、書くことは痛みを伴う行為だとお話しされていました。ふかわさんはこれまでにもエッセイや小説を執筆されてきましたが、書くという行為にはどういう意味があるのでしょうか。
ふかわ:ひとつは筋トレですね。20歳の頃からずっと文章を書き続けているのは、そのためです。タレントや芸人にとって、言葉は最大の武器。文章を書くことは、ボキャブラリーを増やし、表現力を養う言葉の筋トレとしてとても適していると思います。
バラエティ番組の場合、時間の流れがあるので「どういう言葉がいいだろう」とじっくり考える余裕はありません。瞬発力やタイミングが大事で、そのためにも筋トレとして文章を書くことは大事だと思いますね。
同時に、本を読むことも大切です。時代を超えて愛されてきた文章は、岩盤を潜り抜けてきたおいしいお水のようなもの。それを飲むように、作品を味わっています。僕にとって、小説は「飲み物」ですね(笑)。
続きを読む
──収録作品の中でも、「中年の園」は小説仕立てです。市民プールで泳いでいる最中、あるおじさんのお尻に触れたことから、中年男性の憩いの場である「中年の園」に入り込んでいく。そんな中年の話ですが、この作品はどのような経緯で生まれたのでしょうか。
ふかわ:もともと書いてあったものです。創作もいくつか書き溜めているのですが、今回そのうちのひとつが日の目を見られてよかったです。
中年男性のお尻が意外と柔らかいということだけは、実体験です。プールで泳いでいた時、たまたまおじさんのお尻に触ってしまったら、吸い込まれそうな柔らかさで。マダムのお尻かと思って、慌てて「すみませんでした!」と謝るつもりで立ち上がったら、おじさんは何も動じずにプールのへりにもたれて休んでいました(笑)。
当初は、エッセイがメインの本の中に創作が混ざっていると、読者はどう思うだろうかという不安もありましたが、担当編集者が「さらっと紛れ込ませましょう」と提案してくれて。あえてエッセイの中に紛れ込ませることで、「中年の園」のように現実から非現実の世界に入っていくような感覚も味わえるのではないかと思います。もともと中年を軸にしつつもバラエティに富んだエッセイ集でしたが、この一編が入ることで「中年鍋」になりましたね。
続きを読む
僕らは、同じものを観て、聴いて、同じ景色を共有していた

──当初は、氷河期世代に向けた本を想定していたそうです。ふかわさん自身も当事者ですが、氷河期世代に対してどんな思いを抱いていますか?
ふかわ:当時は当たり前だと思っていましたが、時を経ると「こんなに独特で面白い時代だったんだな」と思います。氷河期世代だって、辛いことばかりではなかった。現に、たくさんの名曲、ドラマやマンガの名作を享受し、みんなで共有しています。僕はそこがすごいなと思うんです。
クラブイベント「氷河期世代NIGHT」も、皆さんブースから離れない。曲のイントロを聴くだけでどの曲が始まるかわかるし、みんな歌えるんですよね。でも、2番になると急に歌詞が怪しくなる。ドラマでは、1番しか流れませんでしたから(笑)。
当時は、そうやってみんなで同じものを観て、聴いて、SNSもない時代に同じ景色を共有していましたよね。月曜9時にドラマを観て、翌朝クラスでみんなその話をしていたじゃないですか。それって、これから先の時代では容易ではないことだし、僕らの財産だと思います。プリンセス プリンセスの「ダイアモンド」のような思い出です。
大人になった今は、それぞれ別の道を歩み、独身の人もいれば家庭を持った人もいます。でも、多感な時代を共有していたし、今も曲を聴いたらあの頃に戻れる。体がしっかり覚えている人間の機能も、素晴らしいなと改めて感じました。
続きを読む
──最後に、ふかわさんはこれからの人生をどうやって生きていきたいと考えていますか?
ふかわ:先ほどもお話ししたように、思い通りにならないからこそ人生は楽しいんですよね。悟りを開いたかのように常に穏やかな気持ちで生活するのは難しいですが、この気持ちは忘れずに歩んでいきたいです。スポーツの監督が「想定外も想定内」と言いますけど、僕も想定外を楽しめる人でありたい。シニアになっても、常にその時々の車窓を楽しみたいと思っています。
今回のエッセイにも書きましたが、ある時コーヒーチェーン店で隣に座ったおじいちゃんの耳の毛がすごかったんです。この先、僕の耳の穴からわさっと生えたとしても、それを楽しみたいし、今度は「ジジイよ、耳毛剃れ」というタイトルの一冊にしたいです。
取材・文=野本由起 写真=後藤利江
記事一覧に戻る