作家やクリエイター、お笑い芸人、音楽アーティストなど、多彩なジャンルで活躍する人たちが、心に残る一冊をセレクトして、自身の言葉で紹介! 本を選んだ理由やそれぞれならではの視点を通して、本との新しい出会いや、読書の楽しみを届けます。
ほんとうの恋は絶望に似ている。そのことをあなたは知っているだろうか。
知っていると言えるあなたにも、知りたいと思うあなたにも、手渡したい本がある。
作家やクリエイター、お笑い芸人、音楽アーティストなど、多彩なジャンルで活躍する人たちが、心に残る一冊をセレクトして、自身の言葉で紹介! 本を選んだ理由やそれぞれならではの視点を通して、本との新しい出会いや、読書の楽しみを届けます。
ほんとうの恋は絶望に似ている。そのことをあなたは知っているだろうか。
知っていると言えるあなたにも、知りたいと思うあなたにも、手渡したい本がある。
江國香織『ウエハースの椅子』(新潮文庫)には、恋と絶望のすべてが描かれている。
語り手の『私』のもとには、さまざまなものが尋ねて来る。野良猫と妹と、恋人と絶望。
恋人は完璧なかたちをしていて、いつでも『私』を信じられないほど幸福にしてくれる。
引用----
私は恋人によってこの世につなぎとめられていると感じる。それは奇妙な感覚だ。恋人がすべてであると感じるのではなくて、恋人といるときの私がすべてだと感じる。
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ほんとうの恋は孤独を埋めてはくれない。むしろいっそう孤独の輪郭を濃く描き出す。恋人といないすべての時間が、自分自身を喪失しているように感じられる。自分には自分の人生があって、これまで培ってきたもの、得てきたもの、自分の世界をたしかに持っているはずなのに、そのどれもが、何か嘘のように思えてくる。
では、恋人といれば満たされるのだろうか。その答えは、イエスでもノーでもある。極まった恋は、極まっているために先がない。幸福な瞬間だけが雷のように瞬いて、後には何も残らない。
引用----
それはほとんどゆるやかな自殺のようだ。彼は私を愛している。私はそれを知っている。私は彼を愛している。彼はそれを知っている。私たちはそれ以上なにも望むことがない。終点。そこは荒野だ。
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そして、恋は絶望によく似ている。あなたが、もっとずっと前から『私』のはじまりの瞬間から傍にいてくれればよかったのに、と。こころの海に沈んだ、掬えないはずの過去まで救ってほしいと、叶わぬ願いを願ってしまう。
引用----
「あなたがいてくれればよかったのに」
私は言った。
「あのときあなたがいてくれれば、私はあんなに孤独ではなかったのに」
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子供のこころはやわらかく、傷みやすいお菓子のように繊細だから、絶望にしたしい。趣味や生きがい、仕事や浪費によって絶望を誤魔化すということを知らない子供にとって絶望は感情ではなく、世界そのものに等しい。
引用----
かつて、私は子供で、子供というものがおそらくみんなそうであるように、絶望していた。絶望は永遠の状態として、ただそこにあった。そもそものはじめから。
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絶望は何かを失った結果ではない。失恋したからでも、夢に破れたからでもない。理由よりも先に、命と同じ古さで、ただぽっかりとそこにある。
大人になるというのは絶望を失うことではなく、その誤魔化し方を知ることだ。仕事をする。食事をする。本を読む。友人に会う。旅をする。欲しいものを買う。そうして絶望の穴の上に薄い板を何枚も渡して、その上を歩く。そして恋は、その板を簡単に剥がす。
愛する人の前では、自分がふいに幼いものへ戻ってしまう。いまの『私』だけでは足りない。あの日泣いていた『私』も、ぜんぶ見つけてぜんぶ知って、ぜんぶ愛してほしい。
いま目の前に、これほど愛しい人がいるという事実が、かつてその人がいなかった時間を鮮明にする。幸福という光にあてられて、すくわれなかったものが浮かび上がる。だから恋はおそろしい。
引用----
そしてふいに恐ろしくなる。私は恋人の不在にも耐えなくてはならないし、圧倒的な幸福と共にやってくる、その存在にもまた耐えなくてはならないのだ。
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何も愛さなければ、愛するものを失わずにすむ。けれど一度何かを愛してしまったのなら愛することの絶望を引き受けなければならない。一度知ってしまえばもう戻れない。
人生に絶望するわけではない。あのころからずっと、人生と絶望はイクォールなのだ。
この一行に何か感じるものがあれば、ぜひ手に取ってみてほしい。
文=浅井音楽
◆浅井音楽さんが紹介した本
『ウエハースの椅子』(新潮文庫)
【プロフィール】
浅井音楽 ONGAKU ASAI
臨床心理士、エッセイスト。
著書にエッセイ『しゅうまつのやわらかな』(つくみず:画)、詩文集『ぬいぐるみ投げてたら日曜日が終わった』がある。木漏れ日とからあげが大好き。
Xアカウント https://x.com/asai_music
毎月ゾロ目の日に、神保町の『PASSAGE bis! BOOKS&BAR』にて『作家バー』というイベントをやっています。ぜひおしゃべりしに来てください。本の話でも、あなたの話でも、恋と絶望の話でも。