
「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」
1997年11月24日、野村・大和・日興と並ぶ四大証券の一角であった山一證券の自主廃業が決定した。当日、記者会見の場に現れた野澤正平社長は、涙ながらに冒頭の言葉を述べた。
日本を代表する証券会社が終焉した背景にあったのが、バブル崩壊後の経済停滞だ。1991年のバブル崩壊から今にいたるまで、本格的な景気回復には至っていない。長期停滞は当初「失われた10年」と呼ばれた。それが20年、30年と延び、ついには「失われた40年」に突入しかねない、という議論すらある。
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停滞のツケをもっとも過酷なかたちで背負わされたのが、就職氷河期世代だろう。2000年3月卒の大卒求人倍率は0.99倍と1倍を割り込み、2003年の大卒就職率は55.1%にまで落ち込んだ。政府が支援に本腰を入れたのは2019年になってからだ。3年間で氷河期世代の正規雇用者を30万人増やすという目標を打ち立てた。だが2024年までの5年間でみても増加数は約11万人にとどまった。氷河期世代の人々は、被った社会的不利益に対する十分な手当てを受けたとは言いがたいまま、老後を迎えようとしている。
なぜ、これほど長く手が打たれなかったのか。目を背けられてきたのか……。
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日本が長い停滞から抜け出せない背景
評論家・近現代史研究者である辻田真佐憲氏の新刊『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史(文春新書)』(文藝春秋)は、こうした日本社会が抱える宿痾を理解するのに重要な視点を授けてくれる一冊だ。
辻田氏が本書のなかで分析を試みているのは、タイトルにある通り戦後日本である。その分析の鍵となるのが「国民の物語」という概念だ。日本社会が長い停滞から抜け出せずにいる背景にも、この「国民の物語」のあり方が深く関わっている。
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そもそも国民の物語とはなんなのか。辻田氏の言葉を借りれば「その国がどのような国なのかについて、公的な基本設定を基礎づける歴史像」ということになる。
わかりやすい例を挙げよう。米国は、奴隷制という大きな矛盾を抱えながらも、自由と平等を求める戦いを続け、その理念を実現しようとしてきた、といった物語を国民に広めてきた。
翻って日本はどうか。本書での議論を見ると、あいまいなまま、あるいは半ば放棄されてきたような状態が長らく続いてきたと見る向きが多いようだ。実際、世界では多くの国の首都に、国民の歴史を包括的に伝える国立の近現代史博物館があるが、東京には存在しない。
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なぜなのか。大きな理由の一つは、近現代をひとつづきのものとして理解しようとすれば、2025年に終結から80年を迎えた「あの戦争」の原因や責任に向き合わなければならないことにある。
では、日本には「国民の物語」はないのか。そうではない。いびつな形ではあるが、人々の間に通底していた物語がある、とするのが辻田氏の見立てだ。辻田氏は本書のなかで、その基本構造を大きく三つの枠組みで整理する。
全ての説明は本書に譲るとして、冒頭で取り上げた内容に絡むのが「失われた30年」に関するものだ。平たく言えば、現在を「失われた30年(とその延長)」とみなす物語ということになる。
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ここで「失われた30年」と言うとき、そこには「日本は本来、もっとうまくやれたはずだ」といった含意がある。
だが、さきほど「いびつだ」と言った通り、この物語にはいくつかの瑕疵がある。
「いつか解決する」という根拠のない期待
日本は60年代、年平均約10%という驚異的な速度で経済成長を果たし、やがて米国に次ぐ経済大国になった。日本国民の並々ならぬ努力がもたらした成功であることは言うまでもない。だが、この高度経済成長期には、歴史的にもまれな奇跡が続いてもいた。人口は増加し続け、都市部には地方から豊富な労働力が流れ込んだ。50年代には朝鮮戦争の特需があった。1ドル360円という固定相場は、日本製品の海外市場での価格競争力を強めた。原油も1バレル2ドル台と安かった。阪神・淡路大震災や東日本大震災のような、列島を揺るがす大災害もなかった。
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辻田氏は事実を丹念にたどったうえで、こう指摘する。
引用----
問題なのは、歴史的に特殊な条件のもとで成立した社会を「本来の日本」だと思い込み、その再現ばかりを目指すことである。(本書209ページより)
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再現しようもない過去の栄光を取り戻そうとし、「いつか解決する」という根拠のない期待を抱き続けてきたからこそ、氷河期問題をはじめ、さまざまな問題が未解決のまま見過ごされてきてしまったのではないか。本書を読むと、そう思わざるを得ない。
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では、どうすればよいのか。辻田氏は郷愁に浸るのではなく、過去から引き継ぐものと改めるものを見極める「腑分けの作業」と、新たな「国民の物語」を作ることの重要性を説く。
辻田氏は90年代以降を、「戦前」でも「戦後」でもない第三の時代、「新しい戦後」と名づける。東西冷戦の終結、阪神・淡路大震災、地方の衰退。戦後日本を支えてきたさまざまな常識は、この時期に大きく揺らいだ。その切れ目を認めたうえで、先人の遺産は引き継ぎ、現在の条件に合わなくなった制度や価値観は改めていく。こうした「腑分けの作業」を行い、妥当な物語を紡ぐことこそが求められているのだろう。
もっとも辻田氏自身が本書のなかで認めるように、「新しい戦後」という考えは、まだひとりの書き手が一冊の本で示した提案にすぎない。「国民の物語」は、多くの人が議論し、反発し、修正しながら、長い時間をかけて形づくられていくものであるはずだ。戦後81年、その物語の続きを書くのは、ほかならぬ私たち自身である。
文=柳羊
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