
いつの間にか、父がヘイトスラングや差別的な言葉を口にするようになっていた…。ルポライターの鈴木大介さんが執筆し、大きな反響を呼んだノンフィクション『ネット右翼になった父』。この度、漫画家・とあるアラ子さんによりコミカライズされ再び話題を集めている。
【『ネット右翼になった父』Story】
主人公・鈴木大介の父が他界。晩年の父はがんを患いながらも、パソコンでヘイト動画を見漁り、ヘイトスラングを連発していた。主人公は父の相容れない価値観に失望し、心を閉ざしたまま父を見送る。
死後、父の右傾化を記事にしたところ、トレンド入りするなど大きな反響があるが、その理由を決めつけていたことに気がつき、父の変貌の真実を自身で「検証」することを決める…。
当初は「父を変えてしまった右傾メディアへの激しい怒り」を原動力に取材・執筆を始めたという鈴木さん。しかし取材を重ねるうちに、自分自身が「父親」という人間を偏ったメガネで見つめていたことに気づかされていき…。コミカライズをきっかけに改めて振り返る、亡き父との記憶、表現者としての葛藤、そしてSNS時代における「安易なラベリング」との向き合い方について、お話を伺った。
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日常会話で飛び出すヘイト発言。父の変化を目の当たりにして

――そもそも、お父様を「ネット右翼になってしまったのではないか」と感じ始めたのはいつ頃からだったのでしょうか?
鈴木さん:「父が亡くなった2019年から振り返ると、闘病が始まった2016年頃からの変化だったと思います。もともと僕は年に1〜2回帰省する程度だったのですが、父が末期がんの宣告を受けたことで、病院への送り迎えのために毎月実家に通う生活が始まりました。顔を合わせる機会が増えてみると、父の口から『ちょっとそれはないんじゃないの?』と思うようなヘイト発言やネットスラングが飛び出すようになっていて。『一体父はどうしちゃったんだろう』と戸惑いましたね」

――もともとのお父様はどんな方だったのでしょうか。
鈴木さん:「僕の記憶にある父は、差別や権威が大嫌いで、どちらかといえばリベラル寄り。体制や権力に従うことを好まない人でした。知的好奇心が強く、中華圏の文化が好きで中国へ語学留学をしたり、ハングルを自ら学んだりもしていたんです。それほど肯定していた文化圏の人たちに対し、なぜ急に牙をむくような言動を始めたのか…そこがどうしても腑に落ちませんでした。
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そんな父の変化を目の当たりにして、僕自身すごく『傷ついた』感覚がありました。そして、その後にじわじわと嫌悪感がやってきた。『認めたくない』という強い拒絶反応がありましたね」


――お父様が亡くなったあと、その体験を文章として発表されました。記事には「うちの親も同じ」「自分の家族にも似たことが起きている」といった反響が寄せられ、SNSでもトレンド入りするなど大きな話題となりました。なぜ、プライベートな家族の問題を世に出そうと思ったのでしょうか。
鈴木さん:「一つは、『高齢者の右傾化』というテーマが社会全体の共通課題だと感じたからです。そしてもう一つの原動力が、『何かが父を変えてしまった』という、ひたすら激しい怒りでした。当時は右傾した動画チャンネルや、「まとめサイト」、それを音声で読み上げるテキスト動画などが数多く存在していました。そうしたコンテンツに対するすさまじい憎しみと怒りが、当時の僕を突き動かしていたのだと思います。
ですから、記事の反響を受けて書籍化が決まった当初も、ビジネス右翼メディアがいかに高齢者を毒しているかを暴くケーススタディ集を想定していました。とにかく一番の目的は『犯人探し』。父を変えてしまった犯人をなんとかして糾弾してやりたいという思いでした」
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「“ネット右翼”とお父さんは同じとは思えない」取材を進める中で見えてきた“等身大の父”
――当初、「父は老いや病気によって判断力が衰え、ネット上の過激な情報に取り込まれたのではないか」と考えていた鈴木さん。しかし、やがてその説明だけでは腑に落ちなくなっていきます。すでに一度自分なりの答えを出していたにもかかわらず、「もしかしたら自分の見方そのものが間違っているかもしれない」と疑い直したのは、なぜだったのでしょうか。
鈴木さん:「きっかけは母の言葉でした。僕の記事を読んでいない母が『大介が言う“ネット右翼”とお父さんは同じとは思えない』と言い出したんです。それを機に思い返すと、実はヘイトスラングを聞くようになるかなり前から、父は保守的な発言をしていたことに気づいたんです。
もし父が“メディアに毒された分かりやすいネット右翼”でなかったとしたら、僕の記事は父の尊厳を傷つけたことになってしまう。そう考えると心臓が止まる思いでした。犯人探しをする前に事実を検証しなければ、父にも読者にも不誠実になると感じ、取材をやり直すことにしました」
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――鈴木さんは、亡くなったお父様のパソコンを調べ、家族や親族に話を聞き、お父様の人生そのものを辿り直していきます。ルポライターとして他人を取材することには慣れていても、自分の父親を取材対象にするのはまったく別の作業だったのではないでしょうか。
鈴木さん:「書き手として家族のことを書くというのは、ものすごく大きなリスクを伴います。それが原因で家族関係が壊れてしまうケースも決して少なくありません。だからこそ僕は、たとえどんな着地点になろうとも、家族全員が納得できる形になるまで徹底的に取材を行わなければいけないと考えました。その重みや責任感という意味では、普段の取材とはまったく異なる体験でした。
そして、知れば知るほど、父親の等身大で愛らしい姿が見えてきたんです。それまでの僕は、どこか未熟な自分の視点から父を『完璧で完成された男性』として過大評価しすぎていた部分が強くありました。けれど取材を進める中で、父の弱いところやだらしない部分、まだ幼く脆かった時期のエピソードなどに触れることができた。その中で芽生えたのは、『なぜ生前、こういう父の一面を知ろうとしなかったんだろう』『どうしてもっと向き合って、たくさん話をしておかなかったんだろう』という悔やむような思いでした」
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――実際にお父様と一緒に過ごした日々の中で、「等身大で愛らしい姿」を目撃するような場面はありましたか?
鈴木さん:「ジェンダー的にアウトな発言が多い父でしたが、テレビに出てくる女性タレントに毒づいていた際、母が『じゃあどんな女性だったらいいの?』と尋ねたことがあったらしいんです。そのとき父は、こっそり母を指差してイタズラっぽく笑ったっていうんですよね。でも確かにそんな愛らしい父の姿は、実際には昔から知っていたはずなんです。自分が見落としてしまっていただけだったんです」
他者の視点が入ることで作品が生まれ変わる。コミカライズの醍醐味
――『ネット右翼になった父』のコミカライズを手掛けた漫画家・とあるアラ子さんには、どういった経緯で依頼されたのでしょうか。
鈴木さん:「手塚治虫文化賞の候補にもなった漫画『ブスなんて言わないで』を読み、本当に素晴らしい作品を描く方だと思い、全幅の信頼を寄せてお願いしました。単に『ルッキズムが憎い』と主張するだけの漫画ではなく、とあるアラ子さんが答えの出ない問題に対して、ものすごく苦悩しながらご自分なりの誠実な答えを出そうと描いている姿勢が誌面から滲み出ていたんです。
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『ネット右翼になった父』も、取材を重ねるなかで想定とはまったく違う着地点へ辿り着いたという『変化のプロセス』を描いた物語です。彼女なら、その葛藤や思考のプロセスを作品として表現してくれるのではないかと思い、結末の描き方も一切コントロールせず、すべてをお任せしました」
――完成したマンガを読んで、特に印象的だった部分を教えてください。
鈴木さん:「とあるアラ子さんならではの“女性としてのジェンダー的な視点”の深さですね。漫画では、姉と弟という性別の違いによる父への捉え方の差が明確に描かれていました。例えば姉は早い段階で『父親として、この人はまったく役立たない』という評価を下していた。それは、物語の軸としては特にフィーチャーしていない部分でしたが、彼女はそこを大きく汲み取り、作品のラストへ向けて力強く描き出してくれました。これはまさに彼女ならではの解釈であり、これこそがコミカライズの面白いところだなと感じています。

また、物語の転換点となる叔父との対話シーンも印象的です。“ババーン!”と派手に演出するのではなく、静かに、しんしんと心がひっくり返っていくような心理描写になっていて。僕自身、叔父の言葉が1週間ほど経ってからじわじわ染み込んできたので、あのグラデーションのような心の動きが見事に表現されていました」
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――冒頭に「お父さんへ」という一文が出てきますね。お父様がもし今このマンガを読んだとしたら、どんな反応をすると思いますか?
鈴木さん:「多分はぐらかすでしょうね(笑)。シャイな人だったので、面と向かってこの本について語り合うようなことは出来なかったんじゃないかな。照れ隠しでお酒に逃げる気がします。ただ、僕たちには『お酒』という共通のツールがあったので、もっと一緒に酒を飲みながら父の学生時代の話などを聞きたかったです。
当時は、父にも僕にも『素直に心を開く親子』としてのロールモデルがありませんでした。仕事の悩みや将来の不安なんかも相談すればよかったのに、姉とはまた違った形で、僕も父に対して『戦力外通告』をしてしまっていたような感覚があります。勝手に父親として頼りにしない決めつけをしてしまっていたのは、僕の側にも落ち度があったなと、今なら素直に思えます」
表面に出た言葉だけで決めつけない。対話から見えてくる人間としてのストーリー
――新書を刊行した頃と比べても、SNSでは自分と違う意見の人を簡単に分類したり、強い言葉で切り捨てたりする場面が増えているように感じます。『ネット右翼になった父』を執筆した経験を経た今、身近な人を「○○な人」とひとつの言葉で捉えてしまうことについて、鈴木さんはどう考えていらっしゃいますか。
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鈴木さん:「人間は誰もが、幼少期からの原体験やプロセスの末に現在の価値観を形成しています。どんなに身近な存在でも、相手のすべてを知っているわけではないのです。しかしSNSでは、そんな過程は見えないまま『結果に出た一言』だけが切り取られ、テキストとして強く可視化されます。人間の魅力や本質は、表面に出た言葉ひとつで推し量れるものではないはずなのに。
最近、『リベラル疲れ 農村自治会長、分断解消に挑む』(中央公論新社)という新刊を出したのですが、そこでもまさにこのテーマに挑みました。かつて僕が『この人はアウトだ』と思った昔の知人たちと対話を再開し、彼らがなぜそういう考えに至ったのか、その原体験やプロセスを聴き直すという挑戦です。SNS上の言葉だけを見れば受け入れがたい発言もありますが、背景にある物語を知ることで『この発言だけが彼らの人格のすべてではない』と捉えられるようになりました。
人の人格を形作ったプロセスを知らずして、最後に出てきた言葉だけで安易に人をラベリングしてはならない。これこそが、僕がこの取材を通して最も深く学んだことであり、父が遺してくれた大切な気づきなのだと思っています」
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――最後に、「年老いた親の言うことが理解できない」「価値観が違いすぎて話したくない」と感じている人へメッセージをお願いします。
鈴木さん:「目の前の相手の『本質的な人間像』を見失いやすい時代です。だからこそ、その人の本当の姿をていねいに探していく作業に目を向けてみてほしいですね。相手が生きてきたヒストリーを紐解き、人格の根っこにあるものを探していく。そうすることで、受け入れがたかった発言もどこか許容できるようになっていきますし、『実際にはそんな攻撃的な発言ばかりしているわけじゃない』という姿もきっと見えてくるはずです。大切な人の正体が見えなくなって戸惑っている方にこそ、ぜひこの作品を手にとっていただきたいですね」
『ネット右翼になった父』
(作=とあるアラ子/原作=鈴木大介) 1,650円(税込)
「わからないことをそのままにするな」そう息子に教えてきた、知的で厳格な父。しかし病を患ったあと、父は耳を疑うほど差別的な言葉を口にし、家族を傷つけるようになっていく。
なぜ父は「ネット右翼」になってしまったのか?
取材・文=宇都宮薫
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