※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年11月号からの転載です。

「泣けた」という感想をもらうたびに、早見さんは困惑したという。そもそも当人は、本を読んで泣くことがない。『アルプス席の母』も『ザ·ロイヤルファミリー』も、泣かせるつもりはまるでなかった。なのに「泣ける」と言われるのはなぜか。そもそも“泣ける小説”とは何なのか。『春までのセンセイ』は、そんな疑問からスタートした一冊だ。
「わからないからこそ、僕が考える“泣ける小説”を全力で書いてみようと思いました。そこで、まず思い浮かんだのが少女が頑張る物語。自分が女の子の父親になった頃から、少女がただ頑張る姿を見るだけでグッとくるようになっちゃって」
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もうひとつ頭に浮かんだのは、いわゆる“余命もの”。
「若い男女の片方が、余命宣告を受けて命の尊さを感じる。映画館に行くと、そんな映画の予告編が必ずと言っていいほど流れます。でも、いくら頭の中でこねくり回しても、僕がそうした“余命もの”を書くイメージが持てなくて。だからといって、命の物語からは逃げたくない。自分なりの“余命もの”を考え抜きました」
32人全員の視点で綴る中学最後の1年間
東京都杉並区にある中高一貫のミッションスクール、私立稜花女学院中学校。新年度を迎えた3年E組の教室には、32名の生徒たちが集まっていた。新しい担任は、国語科教諭の加賀美秀彦。40代なかばのこの男子教師のもと、生徒たちは笑い、泣き、時にぶつかり合いながら中学最後の1年間を過ごすことになる。
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「僕の娘も、私立の女子校に通っています。妻と娘の会話を半歩引いて聞いていると、女子中学生ってとにかくよく揉めるんです。『え、先週その子と麻辣湯、食べに行ってなかった? もう揉めてんの?』みたいなことが日替わりで起きている。その生態が興味深くて、女子校を舞台にしてみたいと思いました」
同年代の異性の目がないのも、女子校の特徴だ。共学の場合、異性にモテるかどうかが価値観の軸になることが多い。だが、女子校の場合はそうではない。
「女子校には部活、勉強、おしゃれ、趣味などたくさんのコミュニティがあって、みんながどこかしらに所属できます。無数のヒエラルキーがあって、価値観が一様ではないという話にも興味を引かれました」
そんな多様なありようを表現するため、この小説では驚くべき手法を採っている。それは、3年E組32名、全員の視点で物語を書くこと。誰ひとり脇役にすることなく、一人ひとりの内面に目を凝らし、その心情を描写する。生半可な覚悟ではできない書き方だ。
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「当初は、クラスの中から5、6人を選んで書こうと思ったんです。でも、僕は、高校野球の補欠球児に焦点を当てた『ひゃくはち』でデビューし、その後も『人には主役も脇役もない』と思って小説を書いてきました。それなのに、クラスの目立つ子、目立たないがゆえに気になる子だけをピックアップすることに嫌悪感を覚えたんですよね。そこで、32人全員の視点で、しかも32編の短編集ではなく、しっかりと縦糸を通した長編を書くことにしました」
「誰が誰だかわからないという批判は覚悟のうえ」と、早見さんは語る。
「でも、教室ってそういうもんじゃないですか。僕が娘の授業参観に行っても、印象に残る子もいれば残らない子もいます。でも、印象に残らない子にだって、自分主役の物語があるに決まってる。そこを書きたいと思いました。ただ、もう一度同じことをしろと言われたら、多分断るくらい大変でした(笑)」
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実際には、生徒一人ひとりのこれまでの歩みから、今抱えている悩みや葛藤まで、人となりが丁寧に書き分けられている。それぞれが心を揺らし、小さなグループがくっついたり離れたりと細胞分裂を繰り返す3年E組。やがて迎えた6月、加賀美先生がガンを患っているという噂が流れる。クラスにも混乱と動揺が広がるが、それでも学校生活は止まらない。32名は、加賀美先生が繰り返し伝えてきた「自分の頭で考えろ」という言葉を胸に、文化祭、そして合唱コンクールに臨むことになる。
「この言葉は、僕が一貫して言い続けていることです。自己肯定感を育むことは大事ですが、ここ10年、20年、その傾向が行き過ぎているとも感じていて。『あなたは正しい』『あなたの言うことは間違っていない』と言い過ぎた結果、自分に疑いを持たない人が増えている気もする。自分の考えが正解だと信じ込む者同士が、一方的に自分の弁を振りかざし、対話にすらなっていない。人は、自分が正しいと思った瞬間、思考停止に陥ると僕は思います。だから、もっと自分の頭で考え続けなければならないと思うんです」
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作中では、こうした土壌を作った大人の責任にも言及している。
「世の中には『枠に収まるな、型にはまるな。お前はお前だ』という言説があふれているし、みんなそういう物語が好きですよね。でも、いざ枠をはみ出そうとする人がいると、一斉に潰しにかかる。そして、みんながみんな無批判にルールに従い、そろって同じようなことをしています。その結果、今みんなが幸せならいいんです。でも、現実はそうではありませんよね。だからもう、物語の中で『自分のやり方を貫き通せ』と言い続けるしかないと思いました」
加賀美先生は、生徒たちを前に「今日も一日だけがんばってください」という言葉を幾度も繰り返す。余命が限られているから頑張るのではない。死が近いから一日が尊いわけじゃない。平凡な毎日を、今日一日だけ大切に生きることで、過去も未来も変えられる。そんなメッセージが伝わってくる、早見さんらしい“余命もの”に仕上がっている。
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「1年後に死ぬとわかっていたら、誰しも頑張って何か残そうとしますよね。でも、終わりが見えないから、ぬるい気持ちで先延ばしにしてしまうんです。そうではなく、今日一日だけでいいから頑張ってみる。自分に対する刃でもありますね、この言葉は。『今日はもう原稿を書きたくない』となった時に、『今日一日だけ頑張ろう』と考える。結局生きるって、その繰り返しなんだと思います」
娘と友達の反応から得たかつてない手ごたえ
この作品を書き終えた今、早見さんはかつてない手ごたえを感じているそう。自信につながったのは、ふたりの“監修者”の言葉だった。
「今回、初稿を娘と彼女の読書家の友達に読んでもらったんです。『なんか変だなと思うところは全部指摘して。言葉づかいも細かくチェックしてほしい』とお願いしたところ、本当に一生懸命読んでくれました。朝、ふたりに分厚い原稿の束を渡した時には、『こんなの一日じゃ読めないよ』と文句を言ってたけれど、夜になって様子を見たら友達は泣いているし、娘も見たことのない顔で熟読していて。あとから聞いたのですが、僕がいないところでふたりは『学校のこと、パパにいろいろ話してんの?』『何も話してない』『だとしたら、超キモくない?』って盛り上がったそう(笑)。それを聞いて『いける』って思いました」
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この本がヒットした暁には、ある野望を叶えたいと早見さん。果たして、本気か冗談か……。
「男子版『春までのセンセイ』を書きたくて。きっと余命わずかな先生を励ますために、組体操とかするんですよ、そいつらは(笑)。男女が分かり合うための第一歩として、こんなにも違うんだというメッセージを込めて、いつか書いてみたいです」
取材·文:野本由起 写真:種子貴之
はやみ・かずまさ●1977年、神奈川県生まれ。2008年『ひゃくはち』で作家デビュー。15年『イノセント·デイズ』で日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)、20年『ザ·ロイヤルファミリー』でJRA賞馬事文化賞、山本周五郎賞を受賞。他の著書に『店長がバカすぎて』『アルプス席の母』『八月の母』などがある。
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『春までのセンセイ』
(早見和真/双葉社) 1980円(税込)
東京都杉並区にある私立稜花女学院中学校。新年度に発表された3年E組の担任は、加賀美秀彦という国語教師だった。折に触れて、自分の頭で考えることの大切さを説く加賀美。その言葉は、生徒たちの心に響き、深くしみこんでいった。だが、夏休み直前、先生が病気で学校を辞めるという噂が流れて……。教師と32人の生徒、それぞれが今を生き、命と向き合う物語。
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