※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年11月号からの転載です。

2022年本屋大賞を受賞したデビュー作『同志少女よ、敵を撃て』、第2作『歌われなかった海賊へ』では第二次大戦下のヨーロッパを舞台に、戦争と真正面から向き合った、逢坂冬馬。作風を変化させた第3作『ブレイクショットの軌跡』では、1台の自動車を軸に、戦争のリアルが社会に忍び込む現代日本のありようを連作形式で克明に綴ってみせた。最新作『その犬をください』の鍵となるモチーフは、犬だ。
「自分がまだ語っていない歴史の領域として、近代日本の存在は常に頭の中にありました。日本の戦争はいったいどういうものだったのか、日本の近代とは何だったのかについて語ってみたい、と以前から思っていたんです。ただ、あまりにも大きすぎるテーマなので、なんらかの切り口を見つけて、視座を限定する必要があった。無数に候補がある中で辿り着いたものが、犬でした」
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作家自身はこれまで犬を飼ったことはないそうだが、広く歴史について学ぶ過程で、犬の存在は身近に感じてきたという。
「歴史の中に犬が登場するエピソードは結構あるんです。犬は社会的な動物であるがゆえに、人間によって絶えずその命運が左右され続けている。言い方を変えると、その時代ごとの空気や社会問題が、人と犬との関係の中に反映されているんです」
話が重くなってしまうところを犬がいてくれたおかげで
全4話からなる本作は、明治から令和へと一気に時代が駆け上がっていく構成だ。第1話「未開の咆哮」の舞台は、明治時代初期の東京、横浜。イギリスから農学を教えるためにやって来た御雇外国人(外国人教師)、ジョージ・スミスが視点人物に選ばれている。その当時、日本人は〈誰かがどの犬を飼う、という発想そのものをほとんど持っていな〉かった。故郷からブルドッグ2匹を連れてきた愛犬家でもあるジョージは、通訳を務めてくれる青年・藤川ら学生たちに、犬の扱い方やその有用性をレクチャーし──。
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「日本は明治維新をきっかけに外国と出会い、近代というものと出会いました。日本を文明国たらしめなければならないという焦燥感と使命感のもと、政府は近代化を強く推し進めていった。一方で、明治維新は、日本の犬が近代と出会った瞬間でもあるんですよね。その辺を自由に気ままにブラついていた犬たちが、野良犬と呼ばれ排除されるようになってしまった。そうした排除の論理には、のちの日本の植民地思想の萌芽があると言うこともできる」
第2話「忠犬誕生」の題材は、渋谷駅前の銅像で有名な「忠犬ハチ公」だ。大正末期から昭和初期にかけて、秋田犬のハチは渋谷駅で主人の帰りを待っていた。主人が亡くなっているとも知らず……という物語の裏にある真実は? 驚きの一編だ。
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「“主人の帰りを待っていた”なんてことが、そもそもなぜ人間にわかるのか。冷静に考えれば、渋谷駅の駅前に秋田犬のハチがいたということ以外に確たる事実は何もないんです。にもかかわらず新聞記事をきっかけに当時ものすごい社会現象になり、ハチは“忠犬”と呼ばれ、“公”という敬称まで付けられた。そこには、戦争が始まりファシズム化を急速に推し進めていく、あの時代の日本特有の逃れがたい空気があったんです」
第3話「犬たちの戦争」で取り上げられるのは、第二次大戦下の日本の空気だ。戦争末期に日本人はどのように犬を飼い、共に暮らしていたのか。実はその当時、ペットの犬を国に差し出すべし、という「供出」運動が盛んだった。毛皮になるから。食料の浪費が防げるから。そんな闇雲な論理に愛犬家の軍国少年が巻き込まれ、懊悩する。
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「犬の供出は、考えれば考えるほど全く意味がないんです。なぜやるかと言えば“みんながやっているから”に尽きるし、みんながやっていることを自分もやらなければ、それだけで社会的に差別される存在になってしまうから。近代日本の破局点は、犬にとっての破局点でもあった」
日本の近代の歴史と、犬たちとの関わりはヒリヒリした痛みを伴うもの。しかし、物語に登場する犬たちがみなチャーミングで、ほっこりさせられる。この読み味が発明的だ。
「悲惨な社会情勢は書いても、悲惨な場面は書かないでおこうと決めていたんです。例えば第3話では、目の前の犬を殺すか殺さないかという凄惨な話を人間たちはしているんだけれども、当の犬はスンスンとかわいく鼻を鳴らして愛嬌を振り撒いている(笑)。題材的にどうしても話が重くなってしまうところを、気ままに生きている犬がいてくれたおかげでうまくバランスが取れました」
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若者の心に届くような小説を書かなければいけない
最終第4話「スランプ」では、令和日本へと一気に時間軸がジャンプ。歴史の先に「今」があることを伝えながら、戦争と日本人、犬と人間との関わりが「今」どうなっているかを描き出していく。
「最後はテイストをガラッと変えて、どこにでもいそうな子と飼い犬のお話にしてみました」
ただ、「どこにでもいそうな子」の解像度は作家ならではだ。高校1年生の坂間楓は、ある日突然学校に通えなくなってしまった。その理由の一つは、海の向こうで行われている戦争の恐怖に押し潰されてしまったからだ。
「今の若い子たちは、自分は戦争と全く無関係です、というふうには思えないんじゃないでしょうか。スマホを持っている以上は、戦争に関するニュースや映像をいやでも受信せざるを得ないですから。上の世代に比べると、戦争というものをものすごく生々しいものとして捉えていると思うんです。その苦しさを、坂間楓は敏感に受け取っている」
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クラスメイトの三門澄や幼馴染のエディなど、自分を気にかけてくれる人はたくさんいるのだ。しかし、本当の悩みは誰にも吐露できない、という点でも苦しい状況が続いているなか、元警察犬の飼い犬・リッキーも元気をなくしてしまう。そこから、物語は意外な軌道を辿る。
「犬に関する資料を調べていった時に、警察犬や盲導犬が引退後、元気をなくしてしまうという話を知ったんです。なぜそうなるのかと言うと、あなたはそれまでの仕事や役割から引退しました、第二の人生の始まりですと勝手に区切りをつけるのは人間で、犬には何もわからないんですよね。やりがいというか、それまでの日常を突然取り上げられてしまったことで元気がなくなる、スランプに陥ることがあるそうなんです」
そのエピソードから、まさかこんな「謎」が生まれるとは! 少女の回復と飼い犬の回復とがシンクロする、ミステリーとしても、希望を描く物語としても鮮麗な仕上がりだ。
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「自分の中に、若者の心に届くような小説を書かなければ、という問題意識があるんです。そのためには、若者たちの苦しさと向き合う必要がある。そのうえで、何かしらの希望を見せられるものでありたい。その部分に、今この時代に自分が作家であることの一つの意義がある、と思っているんです」
若者の心に届けようとする物語は、結果的に、今を生きる全ての人々の心に届くものとなる。本書は、その事実を証立てるものとなるだろう。
「これまではずっと長編を書いてきたこともあり分厚い本が多かったんですが、今回は手に取りやすいと思います。でも、4つのお話はどれも短い枚数の中に、テーマをぎゅっと凝縮している。僕の本を読んだことがない人はもちろん、読んできてくださった人にも、自信を持ってお渡しできる作品になりました」
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取材・文:吉田大助 写真:川口宗道
あいさか・とうま●1985年、埼玉県生まれ。2021年『同志少女よ、敵を撃て』で第11回アガサ・クリスティー賞を受賞してデビュー。同書は22年本屋大賞、第9回高校生直木賞を受賞、第166回直木賞候補となった。23年に刊行した『歌われなかった海賊へ』が第15回山田風太郎賞の候補に。25年に刊行した『ブレイクショットの軌跡』 が第173回直木賞候補となり、第13回高校生直木賞を受賞した。

『その犬をください』
(逢坂冬馬/KADOKAWA) 2145円(税込)
近代化を始めたばかりの日本で、犬はどう扱われていたのか? 昭和初期に誕生した「忠犬ハチ公」の物語はいかにして組み上げられていったのか? 先の大戦の末期に、日本全土で吹き荒れた犬の「供出」運動は何を意味していたのか? そして舞台は、令和日本へ。そこにもまた戦争があり、人間の思惑に翻弄される犬がいた。「犬は社会を映す鏡」──。近代化から始まる日本の歴史を背景に、人と犬との関係を巡る全4編からなる作品集。
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