
北海道発のローカル番組『水曜どうでしょう』は、もはや説明不要の大人気バラエティだ。大泉洋さんがひたすらボヤき、横では鈴井貴之さんが淡々と仕事をまっとうし、その2人を相手に、本来裏方であるチーフディレクターの藤村忠寿さんが画面の外からツッコミを入れまくる。毎回企画がどのように展開していくのか予測不能で、それなのにどう転がっても大きな笑いを生む。ファンにとってはおなじみの構図だが、そんな彼らをレンズ越しに静かに見守っている人物こそがカメラ担当ディレクターであり、エッセイ『だから僕らは出会わなければならないのです。』(集英社インターナショナル)の著者、嬉野雅道さんだ。
やや不思議な本のタイトルに導かれるようにさっそく手にしてページを開くと、そこには嬉野さんの温和な人柄がそのまま文字になったような優しい世界が広がっていた。なにより、第1章で掲げられているテーマが『適当』。のっけから大いに興味をそそられる。
続きを読む
〈適当〉という言葉から連想されるのは、いい加減さだ。ネガティブなイメージが強く、とくにタイパやコスパが重宝され、無駄をなくすことが善とされがちな現代においては、忌み嫌われる言動かもしれない。しかし、決して悪いことばかりではない。この〈適当〉がおもしろさを生むとき、その裏では、「意外にしっかり考えて判断している人がいる」と嬉野さんは説く。すなわち、『水曜どうでしょう』における藤村さんの存在だ。嬉野さんは北海道のテレビ局で藤村さんと初めて出会い、すぐさま「この男の尋常じゃないセンスにこの会社の人たちは気づいているのだろうか」と感じ取る。やがて2人でタッグを組み、大ヒットコンテンツを作り出していくのだが、その過程が本書ではじっくりと綴られている。
驚かされたのは、これほどまでに番組を成功させながら、自身を「ディレクターとしての資質を不所持のまま生まれてきた」と分析している点だ。しかしながら、この事実を受け入れたうえで、嬉野さんは“ないなりにやりようがある”と行動していく。たとえば、資質を持っている者についていくという方法。そして、その中で自分が出せるものを見つけていくというやり方だ。
続きを読む
これぞまさに『水曜どうでしょう』の在り方と同じだと言える。第3章の『丸投げ』では、それをわかりやすく紹介している。人には、どうしても自分一人の力ではいいアイデアが思いつかないことがある。そんなとき、番組制作陣・通称“どうでしょう軍団”はどうするか。ひとまずメンバーに丸投げし、出方を待つ。やむにやまれぬ状況になれば、まわりの人間が何かしらの行動を起こしてくれるだろうという期待だ。そこで誰かが些細な新芽を見つけてくれれば、「ほぉほぉ、そうきたか」とみんながそれぞれの立場で立体化させていく。
一見すると綱渡りのような展開。しかし、おもしろそうなことが生まれる瞬間を全員が固唾をのんで待ち、そのときが来れば、あうんの呼吸で形にしていくこのスタイルこそが、彼らのベストの方法なのだ。むしろ、事前になんの準備もされていない状況を見た若いスタッフが「これから何をやるんですか?」と聞こうものなら、「集中力を欠いた無責任なやつ」と怒られてしまう。行き当たりばったりのようで、実は絶大なる信頼関係が根底にある。『水曜どうでしょう』が唯一無二で在り続ける理由はここにあるのかもしれない。
続きを読む
本書は、嬉野さんが日々感じていることをつれづれなるままに記した、味わい深さのあるエッセイだ。そのため、『水曜どうでしょう』の裏側を回顧するような仕事術的要素のほかにも、趣のある宿に泊まり、日本人としての悠久の生活を感じ取った『暮らし』(第2章)や、自身のルーツを辿る『嬉野家の昔話』(第5章・第6章)など、たおやかな視点で捉えた人生観も描かれている。また、滑らかな語り口調をそのまま文字にした筆致からは、まるで落語を聞いているかのような心地よさも感じられる。時間に追われ、忙しい日々を送るなか、「まぁまぁ、肩の力を抜いて、もうちょっと適当に生きてみてもいいんじゃない」と優しく語りかけてくれるような一冊だ。
文=倉田モトキ
記事一覧に戻る