
これはミステリーなのか、はたまたメタ構造を取り入れたサスペンスなのか――。序盤はそうした戸惑いが頭の中を逡巡する。しかし、そんな邪念はすぐさま消え去り、やがて豪華な俳優陣による競演にすっかりと見入ってしまう。ところが、物語が進み、再び作品を俯瞰で捉える余裕が出てくると、ある感情が脳裏をよぎる。“自分は今、一体何を観せられているのだろうか?”
映画『本当にあった話(の話)』をひと言で表すなら、最初に思い浮かぶ言葉は、カオスだ。とはいえ、そこに小難しさや不条理さといった要素は一切ない。観る側の思考を一度たりともノッキングさせることなく、最後の最後まで淀みのないまま、想定していた展開とはまるで違う世界へといざなってくれる。つまり、カオスでありながら、最高に心地よく、そして形容しがたい気味の悪さがこの映画にはある。
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登場シーンからすぐさま引き込まれる、水上のミステリアスな怪演
原作は、芥川龍之介賞候補作の『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』でも知られる鴻池留衣の同名小説。雑誌「文學界」で掲載された『フェミニストのままじゃいられない』を改題して生まれ変わった本作を、これが商業映画デビュー作となる武井佑吏監督が映画化した。

タイトルに惑わされる方がいるかもしれないが、ストーリーは完全なフィクションで、1990年代に起きた架空の怪事件が物語の背景としてある。家父長制の厳格な家庭で育った近田貴子は、恋人との結婚を親に反対されたことから、とある大胆な計画を立てる。それは、親が認める男性・マサキと結婚したのちに殺害し、マサキの名前や過去の経歴などを恋人に引き継がせて、世間を騙しながら夫婦として生きていくというものだった。驚くことに、貴子はこの“夫殺し”を何度も繰り返し、のちに「配偶者入れ替え連続殺人事件」と呼ばれた彼女の凶行は世間を震撼させた。それから数十年後、この事件を題材にした舞台の制作が動き出したところから、本作は始まる。
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主人公の夛田(ただ)を演じたのは水上恒司。学生時代に演劇を少しだけ齧っていたという夛田は、気鋭の演出家・加藤鶏冠手(かとう・かえるで)(佐々木蔵之介)が率いる劇団のオーディションを受け、見事にマサキ役を勝ち取る。しかしこの男、登場シーンからつねにミステリアスな怪しさを身に纏っている。同じ会社で働く妻(山下美月)が複数の男性社員と体の関係を持つことを知り、離婚を突きつける場面でも、本心が見えづらい奇妙な笑顔を絶やすことがない。また、オーディションを受けた理由も「自分がマサキだから」と真顔で語り、加藤たちの興味を惹き寄せていく。
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“虚実の世界”から逸脱した人間が見せる恐ろしさを体現

そんな夛田の不可解な言動は、稽古を重ねるにつれて徐々にエスカレートしていく。最初のターゲットとなったのは小池栄子演じる脚本家の垣内志乃だ。「貴子には殺害したマサキに対する恋愛感情が一切なかった」と説明する垣内に、夛田は自身の解釈をぶつけ、執拗なまでに愛情の存在を認めさせようとする。やがて、その自己中心的な振る舞いは演出家の加藤にまで及ぶのだが、そうした役者と脚本家、演出家との攻防は舞台制作の裏側を覗いているようで、思わず見ているこちらまで力が入る。だが、夛田の暴走はそれだけにとどまらない。次第に彼は、普段から自分のことを“マサキ”だと名乗り、相手役の米良(黒木華)に対しても、まるで彼女が貴子自身であるかのように言葉を掛け、台本や芝居を超えた空気が稽古場以外の場所でも生まれ始める。
俳優が演技論を語るとき、「役そのものに同化する」という言葉をよく口にする。ただ、当然ながら、それはあくまで理想論だ。しかし夛田はマサキになりきっている。憑依ともまた違う、まさしくマサキとして生きる姿に、周囲は気持ちの悪さを感じ始める。演劇も創作の物語も、そこには“虚実の世界”という暗黙の了解がある。だからこそ、どれだけ突飛な役だったり、陰惨な設定であったりしても、誰もが安心して向き合えるのだ。でも、もしそのルールを超えてくる者が現れたら――。水上の常軌を逸したような夛田の姿からは、そうした恐ろしさが映像を通してヒリヒリと伝わってきた。
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次々と剥がされていく人間の化けの皮。そして夛田の本当の望みとは

その後も夛田は変容し、いつしか別人のようなオーラを醸し出すようになる。さらには、あろうことか、まわりの人間たちの化けの皮を剥がすかのような正論までぶつけ始める。寛容さを主張しながらも、貴子の事件を利用して己の凝り固まったエセフェミニズムを押し付けようとする垣内を見下し、一方で、演劇を隠れ蓑に、ただただ他者を自分の思い通りに動かすことに喜びを見出しているパワハラ体質の加藤を罵っていく。
なお、このときの、虚を突かれた一瞬のたじろぎから、すぐさま大人の貫禄を見せつける佐々木蔵之介と小池栄子の佇まいが実に美しい。二人は静かに燃えるような芝居を魅せ、ゆっくりと夛田と対峙していく。また、そんな二人とは真逆の弱い立場ながら、圧倒的な存在感を放っていたのが黒木華だ。米良は三十路の売れない役者らしく、稽古場ではいつも自信なさげな振る舞いを見せる。そうかと思えば、加藤といるときは権力のある演出家に気に入られようと偽りの姿を覗かせ、自分を翻弄してくる夛田に対してはときおり強い牙を向ける。誰もが持つ多面性。黒木は、それらを外連味なく表現することで、人間としてのいやらしさを観る者に訴えかけているようにも感じられた。
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はたして夛田の行動の目的と真の望みとは何なのか――。その答えは、混沌と展開していく物語の中で断片的に描かれていく。ひとつヒントを挙げるなら、夛田の心を蝕んでいるのは、かつての妻の不貞行為だ。“彼女は本当に自分を愛していたのか”という疑問をかき消すように、夛田は貴子とマサキの間に愛があったと証明することにこだわり続ける。そして、最後には誰もが予想しない事態を巻き起こすのだが……。その結末は、ぜひ劇場でご覧いただきたい。
文=倉田モトキ
映画情報

『本当にあった話(の話)』
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2026年10月2日(金)テアトル新宿 ほか 全国ロードショー
キャスト:水上恒司 黑木華 山下美月 / 小池栄子 /佐々木蔵之介
監督:武井佑吏
原作:鴻池留衣『本当にあった話(の話)』(文藝春秋)
配給:東京テアトル
公式サイト:honbana.com
X:@honbana_mv
©鴻池留衣/文藝春秋 /2026「本当にあった話(の話)」製作委員会
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