
合唱曲としても愛される、いきものがかりの楽曲「YELL」をモチーフに、音楽を通じた教師と生徒の心のつながりを描く映画『キリコのタクト~YELL~』。その原作小説『キリコのタクト~YELL~』(竹書房)を、同作の監督を手がけた、映画監督・プロデューサーの雑賀俊朗さんが書き下ろした。教師と生徒それぞれの葛藤や心の変化にさらにフォーカスした小説を、雑賀さんはどのような思いで綴ったのか。小説だからこそ描けたことや同作に込めたメッセージ、また作品の舞台である神奈川県厚木市との出会いについても、話してもらった。
「サヨナラは悲しい言葉じゃない」から始まった再会のストーリー

――『キリコのタクト~YELL~』という物語が生まれるまでの経緯を教えてください。
続きを読む
雑賀俊朗さん(以下、雑賀):妻の出身中学が出場した2009年のNHK合唱コンクールを観て、課題曲だったいきものがかりの「YELL」を知りました。それから2年後の2011年、東日本大震災の1カ月後に東北三県に取材に行ったんです。インタビューを通して被災者の皆さんの「愛する土地を復興したい」という強い思いを感じて、被災者たちの希望を伝える番組として、宮城、岩手、福島の中学校の合唱部が「YELL」を歌ってリレーするというテレビ番組を作りました。

その12年後の2023年にあつぎのえいがかんkikiで私の映画『レッドシューズ』を上映してもらえることになり、舞台挨拶のために本厚木駅のホームに降りた時、電車接近を知らせる音楽が「YELL」だと知ったんです。その時にお会いした厚木の山口市長からも「厚木から文化を発信したい」という思いを聞き、私も「YELL」をモチーフに映画を作りたいと思って、企画書や脚本を書き始めました。そして竹書房さんで原作本も刊行してもらえることになり、映画作りと同時に小説を書いていきました。
続きを読む
――物語作りでは「YELL」という曲の持つメッセージや歌詞が出発点になったのでしょうか。
雑賀:なりましたね。サビ冒頭の歌詞を、私は「それは素晴らしい再会があるということなんじゃないか」と理解したので、再会のストーリーにしようと思いました。それにこの曲は、若者の迷いや自分探し、そして旅立ちについても歌っているので、素晴らしい再会、若者の葛藤、飛び立つという3つのキーワードを骨格に、ストーリーを組み立てていきました。
地元の人も知らない魅力を見つけようと思って映画を撮っている

――映画では鈴木京香さんが演じる、合唱部の原田貴理子先生のキャラクターはどのように作っていきましたか?
雑賀:「YELL」ですから合唱部のお話にして、その先生を中心に据えようと思い、私の出身高校(福岡県立東筑高等学校)の合唱部の先生を思い浮かべつつ、新しいキャラクターとして貴理子先生を膨らませていきました。とはいえ教える立場というと、私の周りの学校の先生の話や、私がワークショップで若い人に教えている経験から、先生と生徒の距離感の難しさを感じていて。その点、関西弁は人との距離を縮めやすい言葉ですから、関西弁を話す先生で、悩んでいる生徒を見て見ぬふりができない熱い人、そして、まっすぐだけど不器用というキャラクターにしました。
続きを読む
――物語の舞台となった厚木の魅力は?
雑賀:厚木市は、駅前は中都市の雰囲気がありながら、自然豊かで、実は桜の名所も多いんですよね。良いロケ地を見つけて、重要なシーンの脚本を場所に合わせて書き直すこともありました。東京農業大学(厚木キャンパス)の吹き抜けの階段もロケハンで見つけて、合宿のシーンで使わせてもらいました。私が映画を撮る時はいつもそうですが、今回も、その土地ならではの魅力的な場所や美味しいものを探して、映画を通して、地元の方も知らない良いところを伝えることにトライしました。
――雑賀さんは映画で地方の町をとても魅力的に撮られていて、行ってみたくなります。
雑賀:私が北九州市出身ということもあって、中心から少し外れた端の町って、物語を感じるので好きなんです。私は『レディ加賀』という石川県を舞台にした映画を撮ったのですが、映画上映後に、地元の10代から70代の女性たちが映画を再現したタップダンスのチームを作って、今も活動しています。映画を観た海外の方も加賀温泉に来てくれたりして、映画から文化が生まれているのを感じます。今回も、この作品をきっかけに厚木に来てくれる人が増えたら嬉しいですね。
続きを読む
小説では映画で描かれない人生を描くことにトライ

――原作小説を書く上で大切にされたことは何ですか?
雑賀:僕は映画も観るし小説も読むから、ふたつが同じだとつまらないなと思ったんですね。それに、黒澤明監督の『七人の侍』は7つの脚本を1本の映画にしたという逸話がありますが、つまり映画の背景に、7人それぞれの濃密な人生があるわけです。私も映画作りでそういうことを意識してきて、今回も映画の脚本を書くにあたって、それぞれの人物の物語を作りこんではいたのですが、映画は2時間ですからどうしても削る必要があって。だから小説では、映画で見える氷山の一角の残りの部分の人生や、生徒が先生と接することで起きる心の化学変化を描くことにトライしました。
――映画の監督・脚本、原作も手がけたことのメリットは何でしたか?
続きを読む
雑賀:何の制約もなく「雑賀ワールド」を自由に泳げたことはとても心地よかったです。反対に大変だったのは、原作者・雑賀と、脚本・雑賀と、監督・雑賀が馴れ合いにならないようにしたこと。脚本・雑賀は正しいと思って書いていても、監督・雑賀が「これは違う」と思うこともあるし、ロケハンを経てシーンの場所を変えたりもしました。同じように、原作を書く時は脚本を書いた時にはわからなかった奥のところまで書いてやろうとか、そういう葛藤が楽しくもあり、大変でもありました。
――今作で若者の葛藤に向き合って、今を生きる若い人にどんな言葉をかけたいと思っていますか?
雑賀:ひとつは、貴理子先生のセリフにもあるモーツァルトの言葉「夢を見るから、人は輝く」ということ。若い人には、たとえひとつの夢がかなわなくても、夢を見続けてほしいという思いがありますね。ふたつめは――僕の出身高校が今年、甲子園に出たんですが、若い時にそういう成功体験があると、その後の人生で大変なことがあっても乗り越えられると思うんです。この物語の若者たちも貴理子先生とみんなで合唱コンクールで全国優勝できたことが心の支えになっているので、そういう自己肯定感を得られる体験をしてほしいと思いますね。
続きを読む
貴理子先生の世代に対しても、その先の人生を熱く過ごしてほしいという思いがあります。最後に貴理子先生がああいう状況になるのは、新たな人生を歩むためのステップにしたかったから。想像していないことが起きて大事なものを失ったら「人生終わり」ではなくて、新しい感覚を得てまた何かを見つけられるかもしれない。歳を重ねても、過去を振り返って生きるだけではなく、何かを始められるんだと感じてもらえたら嬉しいです。
すべての世代にエールを送る作品

――雑賀さん自身を支えている、若い頃の成功体験はありますか?
雑賀:私は高校ではラグビー部で、全国大会には出られなかったんですけど、すごいコーチが来て強くなる直前の世代だったんです。先輩が後輩に教える和気あいあいとした雰囲気の学校が県大会で存在感を発揮するという、珍しいチームだったんですね。その時の成功体験がひとつあります。
続きを読む
それに、僕は高校時代、『青春の門』という五木寛之さんの小説が大好きで、主人公に憧れて早稲田大学に入りたかったんです。でも、野球部員とラグビー部員はだいたい成績は低空飛行(笑)。高3の進路指導の面談で、「早稲田に行きたい」なんて言ったら馬鹿にされると思ったら、先生が「男はそれでなきゃいかん」と言ってくれて。そこから頑張って勉強して、浪人はしましたが、早稲田に合格しました。
――すごいですね!
雑賀:ただ、ショックだったのは――『青春の門』の主人公と同じように、僕も大学の授業の初日に下駄を履いて行ったんです。でもキャンパスで学生たちは、スケボーを持って歩いていたりして。そして、教室で私を見た先生が「雑賀君、君の下駄の音がうるさいから明日から靴にしなさい」と。「俺の考えてる早稲田と違う」と思って(笑)。でも、早稲田に受かった達成感は大きかったです。就職してからも、思い切って営業の仕事をやめて映像の世界に飛び込めたのは、あの経験があったからだと思いますね。
続きを読む
――この小説を、どういう人に読んでもらいたいですか?
雑賀:若い世代や貴理子先生の世代、高校生の子どもを持つ親など、いろいろなアングルから楽しめる作品にしたつもりです。皆さんにエールを送る気持ちで作ったので、幅広い世代の方に楽しんでいただきたいですね。
文=川辺美希
映画『キリコのタクト〜YELL〜』
公開:10月2日(金)
出演:鈴木京香、藤原大祐、井頭愛海、田辺桃子、西垣匠ほか
原作:雑賀俊朗『キリコのタクト〜YELL〜』
監督・脚本:雑賀俊朗
配給:KeyHolder Pictures
©映画「キリコのタクト~YELL~」製作委員会
記事一覧に戻る