
2026年9月13日、「明治ミルクチョコレート」は、誕生100周年を迎えた。戦時下を含め激動の時代を通して人々に寄り添ってきた身近なお菓子の節目を記念して、『あの日のチョコレート~スヰートな5つの欠片〜』(白泉社)と題された一冊が生まれた。執筆人は、江國香織氏、小川糸氏、角田光代氏、千早茜氏、凪良ゆう氏と、現代を代表する作家たちが名を連ねる。チョコレートにまつわるアンソロジーは、甘く、切なく、それでいて歴史の変遷を思わせる骨太な物語が出揃う。
江國香織氏が紡ぐ「四季」は、春夏秋冬の区切りを境に、主人公の瓜生泰斗につながりのある人物が登場する。〈春〉では笑わない幼児だった瓜生泰斗が母の目線から語られるが、〈夏〉では高校生になった泰斗の様子が親友の目線で描かれ、〈秋〉の段階で泰斗は父となり、〈冬〉には泰斗自身の視点から晩年の日常が紡がれる。泰斗の母は、世間体よりも泰斗自身の喜びや感性を大切にする人だった。そんな母が、幼い頃に口に滑り込ませてくれた板状のチョコレートは、その後の彼の人生においていつもそばに寄り添い続ける存在となる。
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角田光代氏が綴る「チョコと冒険」では、遠方に住む母に離婚の報告をすべく踊り子号に乗り込んだ蕾子が、母の若かりし頃の大冒険について聞かされる。父の死後、宇都宮の自宅を売却し、湯河原の高齢者向けマンションに引っ越した母。「どうして湯河原だったの」と訊ねた蕾子に、母はさらりと「昔、駆け落ちした場所なのよ」と答えた。父と添い遂げる前の母の恋話に、蕾子の胸はかすかにざわめく。それは、彼女の離婚原因に要因があった。
凪良ゆう氏による「18歳のショコラトル」は、高校の同窓会を機に地元に帰省する中島顕の心象風景が描かれる。メイクアップアーティストとして第一線で活躍する顕は、雑誌やメディアに引っ張りだこだ。当然、同級生からも注目の的なわけだが、顕本人はたった一人の同級生にしか興味がない。村山大志――顕は彼のことを「大嫌い」とのたまうが、その言葉の裏側にはある思いが秘められていた。
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小川糸氏が描く「お守りチョコ」は、母親と衝突して家出をしたキキと、叔母のコナによる語りが印象的だ。ある時から、キキは野菜以外を口にしないビーガンになった。母親との衝突は主にこの件が原因で、しかし、なぜそうなったのか、核心的な理由を未だ誰にも言えずにいる。「コナちゃんだったら聞いてくれるかも」と感じたキキが絞り出した言葉は、私のような“大人”にとって、深く突き刺さるものであった。
引用----
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“学校では、人を殺しちゃいけない、って教えておいて、大人はバンバン人を殺してる。なんで止められないの?”
――小川糸「お守りチョコ」p.16より
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同時に、コナが返した言葉、キキの未来を見据えて送った言葉もまた、シンプルだからこそ胸に残る。
本書のラストを飾る千早茜氏の「焦げ茶色の刻」は、上記のキキの台詞に不思議なほど共鳴する。本作の主人公は、年代ものの柱時計だ。擬人法を用いて綴られる主人公は、戦前から戦時中、そして戦後に至るまで、長い時を刻みながら人々の生き死にを見つめ続けてきた。戦禍における柱時計の主人は、教え子たちの出征や戦死の報せを受け取るたび、チョコレートの欠片を口に運ぶ。柱時計が記憶する戦争の描写は、鮮明で、残酷で、理不尽に奪われる側の姿が克明に映し出される。それでも、一欠片の希望があった。その希望は、次の世代へのバトンとしてたしかに受け継がれていく。本作の最後に置かれた一文は、現在多くの人々が抱える切実な祈りであろう。
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本書における「チョコレート」の存在は、一様に「生きる力」に直結している。誰かへのエールだったり、お守りだったり、シンプルに命をつなぐものであったり。一欠片のチョコレートが、明日への活力になる。大袈裟ではなく、事実としてそういう時代や場面があった。
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“でもね、大丈夫だから。それでも、ちゃんと生きていけるから。”
――小川糸「お守りチョコ」p.30より
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本書の端々にちりばめられた希望のような言葉たちは、チョコレートの後味によく似ている。甘くて、なめらかで、温かくて、ほんのり苦い。本書に登場する魅力的な挿絵もまた、物語に深みを与える。巻末に収録された「絵描きのあとがき」も読み応えがあり、“絵は「説明」ではなく「問い」でありたい”との一節に思わず唸った。
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チョコレートは嗜好品だが、今の私たちには日常にすっかり馴染んだ身近な存在でもある。そんな“日常”が、いつまでも続いてほしい。大切な誰かにチョコレートを選んだり、自分のためにとっておきを用意したり、いざという時のために机の引き出しにしのばせておいたり。そういうささやかな楽しみが、当たり前に手元にある生活。それをきっと、「平和」と呼ぶのだろう。100年の長きにわたり世界を見続けてきた「明治ミルクチョコレート」が、心から望むもの。その切なる祈りを、それぞれの物語に編み上げた作家陣の矜持が詰まった一冊が、チョコレートのように人々の生活に浸透することを心より願う。
文=碧月はる
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