「読むとえぐられるマンガは一旦卒業」鳥飼茜の新作は「妊娠・中絶」がテーマでも男女4人の会話劇が心地良い! 参考にした「名作ドラマ」《インタビュー》
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『先生の白い嘘』『サターンリターン』の作者・鳥飼茜さん。新作『バッドベイビーは泣かない』(講談社)は、「妊娠・中絶」をテーマにしながら、キャッチコピーは「サスペンスラブコメディ」。考えさせる内容をエンタメとして読みやすく描き、続きが気になる展開から目が離せない。
本作の第1巻の発売にあわせ、鳥飼さんにお話をうかがった。
(取材・文=立花もも 撮影=島本絵梨佳)
坂元裕二さんの『カルテット』が好きで、会話劇をマンガでやってみたかった
――最新作『バッドベイビーは泣かない』のテーマは妊娠・中絶ですが、〈「読むと元気になる」かはわかりませんが、「読むと抉られる漫画」からは一旦卒業したつもりで描いてます〉とSNSでおっしゃっていたとおり、読み心地がものすごく軽くて楽しいので驚きました。
鳥飼茜さん(以下、鳥飼) ああ、よかったです。前作『サターンリターン』も重い話だと受け止められがちで、それはそれでやりがいがあったんですけれど、自分としては無理しているところも多かったので、次は軽い話を描きたいと思っていたんですよね。2年半、お休みをいただいたのもあって、まずは復帰作として、短くてもいいから自分が描きたいように描いてみよう、と。で、参考にしたのが、お休みのあいだに何度も観ていた坂元裕二さんのドラマ。
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――ああ! たしかに、4人の男女がテーブルについて話し合うシーンが、今作では多いですよね。
鳥飼 とくに『カルテット』が好きで、何度も観たのですが、ああいう会話劇をマンガでやってみたい、と思いました。恋愛感情がないわけではないけれど、男女が集まったからといってやみくもに色っぽい雰囲気になるわけでもなく、ただただおしゃべりしているその内容に惹きこまれていく、みたいな。とはいえ物語を動かす存在は必要で、4人とは別の場所に、アマネという女子高生を配置することにしました。
――物語は、アマネが違法に中絶薬を入手するところから始まります。
鳥飼 海外のメディアの方から、女性の妊娠中絶の権利についての議論が日本では遅れていることについてどうお考えですか、と聞かれたことがあって。恥ずかしながら、それが女性の権利であるということも含めて、あんまりちゃんと考えたことがなかった自分に気づかされたんですよね。そのころ観ていたアメリカのドラマでも、中絶が深刻な問題として扱われていて、さらにアメリカでは州によって中絶を法律で禁止しているということも知って。
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――2022年、性的暴行を受けた10歳の少女が、中絶するために隣の州まで移動したというニュースで注目が集まりましたよね。アメリカでは長く、妊娠中絶が女性の権利として認められてきたはずなのに、と。
鳥飼 一度は認められたのち、今、バックラッシュが起きている、そのことすら私は知らなかった。かたや日本では、ようやく経口中絶薬が承認されたところで……。でも、私のように、当事者であるにもかかわらず深く考える機会をもたないまま生涯を終える人って、多いんじゃないかなと思いました。だからアマネには、その役目を背負わせてみようと思ったのですが、そのテーマと、めざしている軽ノリ会話劇とのバランスをとるのが難しくて。
――深刻に始まったかと思いきや、次のページですぐ主人公の間戸かすみが「妊娠してなかった! よかったー!」とトイレで喜ぶ場面が軽くてびっくりしました。でも、私たちの現実ってむしろ「そっち」だよな、と。
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鳥飼 元カレとのワンナイトでできちゃ困る、と。不思議ですよね。間戸ちゃんはかつて、中絶を選んだ友達を糾弾して、それで関係が絶たれてしまった過去があるのに、「できなかった」ことは無邪気に喜ぶ。命の誕生を寿ぐ気持ちと、邪魔に感じる気持ちが、ひとりの人のなかに混在している。その矛盾についても、考えてみたい気持ちはありました。
妊娠中絶は女性の権利であると同時に、男性が関与する問題でもある
――そんな間戸が、実は7年前、電車のホームに落ちたアマネを助けていた、というのが本作の転がりどころです。そのとき協力し合った佐津川という女性とはいまだに交流が続いていて、さらに堂島、木目田という2人の男性とも再会し、4人で交流するようになる。
鳥飼 テイストは違うけど、『先生の白い嘘』と物語の組み立て方は同じなんです。あれは性暴力の話であると同時に、人はそれぞれセックスに対してどういう価値観をもって生きているのか、ということを描きたかった。今回はそれを、出生に対する価値観に変えて、4人のキャラクターをつくっていきました。妊娠中絶はたしかに女性の権利だけれど、当然、男性が関与する問題でもあるわけで。当事者感覚のズレみたいなものが、男女それぞれの立場から描くことで、浮かびあがってくるんじゃないかなあ、と。
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――間戸は、わりと無邪気で素直な、いわゆる普通の迷える20代女性として描かれていて、読者も感情移入しやすいと思うのですが、ほかの3人はどんなふうに生まれたのでしょう。
鳥飼 佐津川さんについては、母性神話みたいなものから外れた人を描きたかった、というのがありますね。彼女は4人のなかで唯一、子どもを産んだ経験があるんだけれど、離婚した今は子どもと離れて暮らしている。そういう状況を聞くと、多くの人は「なんで?」って思うじゃないですか。父親が引き取ったってことは、母親のほうに何か問題があったのかな、って。でも、問題あるなしにかかわらず、そういう選択をしている人は、世の中にいるんですよね。実際、私も息子と離れて暮らしていますし、母親が子どもを引き取って当然、ではない現実もわりとあるんだよってことを、パターンとして描きたかった。
――背負うものがあまりない20代の間戸と、何かを抱えた感じのある40代・佐津川の対比もいいですよね。2人がどんどん「友達」になっていく過程が好きでした。
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鳥飼 佐津川さんに、あんまり後ろ暗さを背負わせようとは思っていないんですけど、長く生きているぶん、間戸ちゃんほど天真爛漫ではいられないよなあ、って(笑)。だから最初は自分のことも開示しないし、素敵なおねえさんぶってみせたりもするんだけど、だんだん間戸ちゃんに甘え始めて、よくも悪くもだらしなくなっていく姿は、私も描いていて楽しいです。
――最近、年齢差のある女性同士の物語が多いような気がしていて。金原ひとみさんの『ナチュラルボーンチキン』(河出書房新社)なんかもそうでしたけど、背負うものも価値観もまるで違うからこそ一緒にいられる、素直に自分と違うものを受けいれられることもあるのかなあ、と。
鳥飼 『ナチュラルボーンチキン』、めちゃくちゃおもしろかったですよね。たしかに、同世代からは悩みに対しても似たり寄ったりの答えしか出てこないけど、若い人からはぎょっとするような発想が聞けて、新鮮だったりする。年収とか、境遇の差もあまり気にならないし、比較しなくていいぶん、肩の力が抜ける。そういう関係性のよさが伝わっているのなら、うれしいです。まあ、そうはいっても、価値観の違いでぶつかることもあるだろうから、うまくいくことばかりじゃないよってことも描いていきたいんですけど(笑)。
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フィクションよりも世界観が出来上がっているモデルには、越えてはいけない一線がある?
――男性の木目田は、妊娠出産の当事者意識がありすぎて、でもなんかズレていて、ちょっとぞっとしちゃいました(笑)。未来のために逆算して、1日2000円しか使えないと算出し、きっちり守るとか……。そういうところが夫婦関係を壊していくわけですが。
鳥飼 彼にはモデルがいて、実際、その人が2000円生活の話をしていたんですよ。全部が全部、モデルの人どおりってわけではなく、むしろフィクションでつくりあげている部分がほとんどなんですけど、ちょこちょこ織り交ぜています。実は、構想を練っている段階では、誰よりもこの人を描きたかったんですよね。
――女性陣ではなく?
鳥飼 ではなかったですね。なんていうか……そのモデルになった人が、本当におもしろいんですよ。マンガだけでなく、フィクションが介入する余地がないくらい、世界観ができあがっていて、地に足がつきすぎている。そういう人を作品のなかに放り込んだら何ができるだろう、って思いました。フィクションのなかにその人のニセモノっていうかアバターをつくって動かす、禁断の遊びみたいなことをしていたんですけど……今はちょっと、心にセーブがかかっています。私が描くものより、今もなお、その人のほうがおもしろい。現実の強度を、思い知らされたような気がして。それにやっぱり、このやり方では越えてはいけない一線を越えることもある気がして、慎重になっていますね。
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――一方で、間戸が7年間忘れられなかったイケメン・堂島は、何もかもに責任をもたない、ふわふわした男です。
鳥飼 こういう、魅力的ではあるんだけど関わりたくない、プレイボーイ的な男の人っているよなあ、と描き始めたんですけど、だんだん、私の想定を超えて独自の成長を始めていますね。あんまり、思い入れがないからかな(笑)。彼にどうあってほしいとか、とくに思わないせいか、いちばん、リアリティがないキャラクターのような気もしています。
――思い入れ、ないんですか。鳥飼さんは本当に、こういうふわふわした男性を魅力的に描くのがうまいなあ、と思ったんですけど。『先生の白い嘘』に出てくる和田島とか。
鳥飼 見た目も似てますね、そういえば(笑)。でも言われてみれば、こういう人がいてくれたら救われるのに、と思っているところはあるかもしれない。軽いし、信用はしきれないんだけど、なぜか許してしまう。そういう人たちが、状況を軽くしてくれることってあるよなあ、って。たぶん、根っこにあるのが『うる星やつら』の諸星あたるなんですよ。きっと、子どもの頃にいちばん最初に好きになった人。
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――ああ!
鳥飼 女性をまるで人格より性的魅力でしか見ていないかのようなのに、優しさはある。でも、誰にでも優しくできるのは、誰のこともそんなに好きじゃないからなんだろうなって感じながらも惹かれた気持ちが、今も残っているのかもしれない。物事をこじらせない才能に、憧れもするんですよね。
「久しぶりにマンガを描くのが楽しいんです」
――4人それぞれタイプが違いすぎて、集まって話し始めると、深刻だったはずなのに脱線して、なんだこれ? ってなる感じがものすごく楽しいです。
鳥飼 ああ、よかった。私も、久しぶりにマンガを描くのが楽しいんです。原稿を描く期間はいつもげっそりしているんだけど、今作は「もっと変な表情にしてみようかな」「だらけた姿勢でしゃべらせたほうがいいんじゃないかな」って細部の思いつきがどんどん生まれてくる。コーンスープ缶の残りをこんこんって叩いて出しながらしゃべっていたほうがこのキャラらしいんじゃないのかな、とか。
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――つじつまが合っていない感じも含めて、みんな、人間らしいですよね。鳥飼さんが楽しんでいるからこそ、読んでいるこちらも楽しいのかもしれない。
鳥飼 アマネだけはどうしても、背負わせているものが重いから、深刻になってしまいますけどね。しんどい思いをさせているけど、頑張ってほしいなあ、と思いながら描いています。若い女の子が未来を生きるための選択肢をこれ以上減らさないでほしい、っていう気持ちは強くあるので、それが物語ににじんで、読者の方にも伝わればいいな、と。そうしてみんなが自分事として考えることができれば、世の中も変わっていくかもしれないですし。
――妊娠中絶というテーマに改めて向き合って、ご自身はどんなふうに感じていらっしゃいますか。
鳥飼 資料をいろいろ調べていく中で、古川雅子さんという方が書いた「経口中絶薬に関する3回連載」を読んだんですよ(※記事は今年、科学ジャーナリスト賞を受賞)。解禁に至るまでどんなドラマがあったのか、読み物としておもしろいんですけど、妊娠中絶は私の権利であって、全女性の権利でもあるのに、ずいぶんと遠いところですべてが決まってしまうんだなあ、とおそろしさも感じました。うかうか生きていると、知らないうちに社会の構造に飲み込まれて、流されてしまうんだな、と。意識しなければ絶対に知ることのできない大事なことが世の中にはたくさんある。だから、政治のこともちゃんと考えなくてはいけないということは、今後の物語でも描いていきたいと思っています。そこは、ゆるふわコメディではきかなくなってくる部分だろうから、緊張はしますけどね。
――それは、これまでみんなが目をそらしがちなテーマに、真正面から挑んできた鳥飼さんだからこそ描けることだと思います。読み心地は軽いけど、扱いは軽くない。ちゃんと奥があるし、一つひとつの描写に「あ!」と気づかされるし、考えさせられるんです。
鳥飼 ありがとうございます。レディースクリニックの医師が「経口中絶薬があるからって軽々しく性行為しないでくださいね」みたいなことを言ってきたり、「は?」って思うことって世の中にたくさんあるじゃないですか。一つひとつ許してはいけないことかもしれないし、私はいちいち怒るタイプではあるんだけれど、でもその怒りだけに人生を費やしていたら、疲弊してしまう。キリがないんですよね。その重さを背負いながらも明るく生きる道を模索する姿を私は描きたいし、自分も明るくありたいと思うんです。
フェミニズムの問題を我が事としてとらえてくれる男性は、ファンタジーだと思って描けなかった
――妊娠したかもって報告に元カレが「大丈夫そ?」とだけ連絡してきたり、ちょいちょい、「なんだこいつ、クソか」みたいな描写があるじゃないですか。それを、怒らないわけじゃないんですよね。「は? ふざけんな」とキレながら前に進む。その姿に、読み手も力をもらえると思います。
鳥飼 よかった。私もプライベートで、男性の当事者意識の低さに怒ったことは多々ありますけど、たぶん妊娠出産に関しては「(男性側は)どうしたって自分には理解できない」と線を引いてしまっている部分も大きいと思うんですよね。「自分にできるのはお金を出すことだけ」って割り切ってしまっているというか。それは決して間違っていないんだけど、それだけではどうにもならないこともたくさんある。
――女性側が「どうせわからない」と最初からあきらめてしまっている部分もあるなと、本作を読んで思いました。言っていれば、何か変わったかもしれないのに、と。
鳥飼 若い女性がひとりで出産して公園に赤ん坊を捨ててしまった、みたいな痛ましいニュースが流れると、「父親は何をしてるんだ」って意見が出てくるけれど、その人にとっては、自分の現実に父親である男性が介入してこないほうがラクだったんだろうな、と思ったりもします。自分ひとりで処理してしまったほうが最小限でおさめられる、と。その判断には、私も身に覚えがある。そんな自分に対するほのかな怒りもあるかもしれません。難しいですよね。「言えばいいのに」という正論もあるけど「言えない事情があることもわかれ」という気持ちもある。命を寿ぐ気持ちと邪魔に思う気持ち、その矛盾と同じように、相反するいろんな感情をどう按分すればうまく事が運ぶのか、マンガを描きながら試しているところも、ある気がします。
――ああ、だから……今作は、けっこう男性陣が重要な役割を担っているなと感じていて。女性だけが頑張らなきゃいけないわけじゃない、というのも「軽さ」のポイントだった気がします。
鳥飼 そこはちょっとファンタジーというか。これまでは、なかなか描けなかった部分なんですよ。男性がフェミニズムの問題を我が事としてとらえてくれる、一緒に向き合ってくれることなんて、現実にはなかなかないから、物語で描いてしまったあと現実に戻り、悲しくなってしまうのがいやだった。叶わないことは描きたくないって思っていたんです。でも……話を聞いてくれる、欲しい言葉を投げかけてくれる、そういう男性の理想像を描いてもいいんじゃないかな、絶対にありえないとはいえないギリギリのところを、楽しく描いてみたいなと今は思っています。だからテーマは重いけど、みなさんにもライトに楽しんでほしいなと思います。
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