
ベトナム戦争に従軍し、日本全国で1200回以上の公演を行ったアレン・ネルソンによるノンフィクション『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」』(講談社文庫刊)を原作とした映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』が、9月11日(金)より劇場公開されている。
PG12指定であるが、原作から「子どもに伝えようとしている」作品でもある

本作は「殺傷流血および簡潔な肉体損壊の描写がみられる」という理由でPG12指定がされている。その字面以上に戦争中の描写は苛烈であるし、序盤にはわずかながら性描写もある。観る前に、ある程度の覚悟が必要な内容ではあるだろう。
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だが、それは、後述するように戦争の恐ろしさと残酷さ、なかでも“加害性”を体感させるために間違いなく必要なものだった。加えて、原作そのものが「子どもにも伝えようとしている」作品であることも強調しておきたい。
ただ、劇場情報ページには「公開規模縮小に伴い、一部の劇場での上映を中止」との記載があり、9月11日より上映中の劇場はわずか8館のみになっている。話題性の高さと内容の意義はもちろん、絶賛の声を受けて、拡大上映されることを期待したい。
※以下、映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』の決定的なネタバレは避けていますが、一部展開に触れています。
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「あなたは人を殺しましたか?」は小学4年生の女の子からの質問だった

「子どもにも伝えようとしている」根拠には、原作の文章が、まさに子どもに向けたわかりやすい“語りかけ”のように書かれていることにある。しかも、タイトルの「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」は、小学4年生の女の子からの質問でもあったのだ。
ベトナム戦争後にホームレスになっていたアレン・ネルソンは、高校の同窓生の教師から小学校でベトナム戦争での体験を話してほしいと頼まれる。ネルソンはその公演で相手が「子どもだから」と、残酷な話にはほとんど触れず、きれいごとばかりを語り続けたのだが……その最後に問われたのだ。
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「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」と。
そう質問されてネルソンはどう答えたか、女の子はどういう反応をしたのか。ここでは書かないでおくが、それはネルソンにとって(原作に書かれているように)「運命的な質問」だったと、はっきりと伝わるだろう。
実際に、今回の映画を手がけた塚本晋也監督もまた「(原作が)子どもが読むことを念頭にこの残虐な事実が書かれているところに、僕も衝撃を受けました。ただ僕も同様に、この映画を子どもに観て貰いたいと思っているので、レイティングも結果がPG12となりホッとしていますし、子どもたちの視線もいつも意識しています」と答えている。
言葉ではまだしも、残酷な場面を映像として映す今回の映画は、子どもに見せないほうがいい、という意見も当然あるだろうし、それは尊重されるべきだ。
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だが、原作で「悪夢に勝つためには、真実を語る必要があるのです。自分自身に対しても、そして他者に対しても」という文言があるように、戦争の表面的なきれいごとではない、残酷な“中身”を知る、いや体感する意義は大きいはずだ。そのため、筆者も(小学校高学年以上であれば)ぜひ子どもや若い人にも、この映画を推薦したい。
「人を殺した理由」から目を背け続けていた

では、戦争の“加害性”がいかなるものなのか。それは、戦争の体験と、さらに“カウンセリング”で暴かれることになる。本作ではアレン・ネルソンが記した『戦場で心が壊れて 元海兵隊員の証言』(新日本出版社)も参照されており、劇中の精神科医のニール・ダニエルズは、当時は注目され始めたばかりだったPTSD(心的外傷後ストレス障害)の専門医でもあった。
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そのダニエルズ医師は、カウンセリングでネルソンが話したいことを話させた最後に、必ずこう聞いている。「君はなぜ人を殺したんだね?」と。しかし、ネルソンは「戦争だから」「命令されたから」「殺さなければ殺されていたから」という通り一辺倒な返答をし続け、時に苛立ちを抑えられずに声を荒げることもある。
確かに、回想のように語られる劇中の戦争において、ネルソンは周りの兵士の暴虐的な振る舞いを忌避しているし、客観的には本人が言うように「殺される前に殺すしかなかった」と納得してしまいそうになる場面もある。
しかし、明確にそうではない、と思える場面もある。こちらも実際に観てほしいので詳細は記さないでおくが、ネルソンは「そこまでしなくてもいい」はずの残虐な行為もしてしまうのだ。そのため、観客は次第に気づくだろう。ネルソンは「殺した理由から目を背け続けていた」と。言い換えれば、それはネルソンが「加害者であることを認めようとしなかった」ということだ。
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そして、カウンセリングを始めてから実に18年、数えきれないほどの「君はなぜ人を殺したんだね?」という質問を受け続けた先で、ネルソンはどのような言葉で自らの加害性を認めるのか……ぜひ見届けてほしい。
その加害性を認めたネルソンは2週間に渡って泣き続け、PTSDから回復し始めるきっかけにはなったのだが、それでも加害者である事実が消えるはずもない。そして、息子が高校から米軍の宣伝パンフレットを持ち帰ってきたことをきっかけに、ネルソンは改めて自分の体験を話す決意を固める。その公演での“反応”もネルソンをまた大きく変えたとは言えるが、それでも彼の苦悩が終わるはずもない。
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「相手を人間とも思わない」思考の恐ろしさ

そもそも、なぜネルソンは自身の加害性を認めようとはしなかったのか。そこには「相手を人間とも思わない」思考が大きく関係している。
例えば、原作でネルソンは、アメリカ兵たちがベトナム人を”グークス”という、サーカスの見せ物小屋にいる異形の人間を指す蔑称で呼んでいたことを語っている。グークスは人間ではない、魂も持たない、なんなら名前もない………はっきり間違っているはずのその思考を、“当たり前”の価値観として持ち続けてしまったのだ。
しかも、その価値観は戦争中に限ったことでもなかった。ネルソンはベトナム戦争前に沖縄基地にいた時の出来事も振り返っており、アメリカ兵たちは娼婦の女性にお金を払わないどころか殴りつけるなど暴虐的な振る舞いをしており、原作では「わたしたちは東洋人を、そして沖縄の人々を人間としては見ていなかった」と語る場面もある。
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しかし、ネルソンは、その考えがいかに間違っていたのかと、やはり戦争中での「決定的な出来事」でようやく気づく、いや、体感することになる。「戦争の相手も自分たちと同じ人間である」というのは、それこそ“当たり前”のはずなのだが、ここまでの出来事がないと“わからないまま”だったことも、また恐ろしい。
戦争の無意味さを知る意味

劇中でネルソンが戦争の“英雄”のように描かれる場面は皆無と言っていいし、戦争そのものが原作で描かれた、以下の文言そのままの印象だ。
「戦争の本質は、今も昔も変わりません。ほんとうの戦争は無慈悲で残酷でおろかで、そして無意味です」
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まったくその通りであるが、自身の加害性に向き合い続けたネルソンが日本で公演を続け、そしてこの映画が公開されたことにはとても大きな意味がある。
「戦争を起こしてはならない」というシンプルなメッセージを受け取る人もいれば、それ以外のことにも広く深い思考に至る人もいるだろう。ぜひ、戦争の無意味さを知る意味を、映画から受け取ってほしい。
文=ヒナタカ
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