
「もはや、誤解の誘発が主目的であると言ってもよいだろう」
直木賞作家・小川哲氏は最新刊『屁理屈と哲学』(集英社)のあとがきで、本書についてそう記している。
この一冊を端的に評するなら、小川哲作品のコラージュ、ということになるだろう。
収録元は直木賞受賞作品『地図と拳』(集英社)やSF巨編『ゲームの王国』(早川書房)、さらには新聞・雑誌に寄稿された書評、未発表原稿などから果ては東京大学大学院生時代に執筆した数学者アラン・チューリングに関する修士論文にまで及ぶ。
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そのままでは単なる作品集になってしまうところ、本書は各作品から抜き出した123の文章を、元の文脈からは切り離した形でまとめている点が大きな特徴だ。
著者・小川氏の書き下ろしはあとがきだけ。本文にあたる抜粋作品や文章の選定に小川氏は関わらず、担当編集の稲葉努氏と書評家の長瀬海氏らがすべてを行うほどの徹底ぶりである。
例を挙げると、第一章『「東京」というゲームが存在する』では、章題のもとになった書評こそ登場するものの、そのほかは章題とはおよそ結びつきそうにない作品から抜粋されている。
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たとえば、視覚や聴覚、位置情報を含むすべての個人情報を巨大情報企業に明け渡すことと引き換えに平均以上の豊かな生活が保障された実験都市に暮らす人々の悲哀を描いた『ユートロニカのこちら側』(早川書房)の以下のような一節が突然さしはさまれる。
引用----
犯罪と宝くじほど割に合わないギャンブルは存在しない――その言葉は「犯罪などという割に合わないことはするべきではない」という意味ではない。そもそもすべての人間が機械みたいに合理的な判断ができるのならば、宝くじは存在しないし、多くの人間の犯罪は発生しないということだ。人間が人間である限り、犯罪も宝くじもなくなることはない。(同書より)
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だが、面白いもので、章題を読んでからこの一節に触れると、わが子が明らかに勉強を得意としておらず、やる気がないのを理解しながらも高額な進学塾に通わせ、「お受験」に臨もうとする親の姿が、うっすら頭のなかに浮かんでくる。
もちろん、同書はそんな作品ではない。
誤読についての思索をまとめた作品?
いったいなぜ、こんなことを……。
読み進めるほどに、何を意図してまとめられた作品なのかが分からなくなってくる。だが、小川氏がしたためたあとがきの一節を読んで疑問が氷解した。
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引用----
たかだか数百キロバイトの文字情報から、読者が豊かな世界を感じとり、およそ言語では表現できないような感動をする。そんなことが可能になるのは、読者がそれぞれの豊かな人生を歩んできたからだ。有限な文字の並びの中に自分の人生を投影し、無限の世界を誤読する――それこそが文章を読む喜びであるとも言える。(本書あとがきより)
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思えば我々は、たとえば推理小説に登場する極悪非道な犯人役につい肩入れしてしまったり、ファンタジー世界を舞台にした冒険小説での主人公の振る舞いを反芻し、誰かに頭を下げる勇気をもらったりもする。
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著者が熱量をもって書いた作品を勝手に手に取り、読み、心を震わせ涙を流し、ときには落胆したりもする。考えてみれば、誤読こそが読書という営為の本質なのかもしれない。本書は読書と切っても切れない誤読についての思索を、著者なりのユーモアでもってまとめた作品なのでは……。
と、考えながらも、本書を読んでいると「これすらも誤読なのでは」と思ってしまう。やはり、作家・小川哲は性格が悪いのかもしれない。
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いずれにしても、本書はファンにとっては小川哲名言集として楽しむこともできるし、小川作品を未読の読者にとっては作品世界の一端に触れる機会にもなる。著者に誘われるまま、大いに誤読しよう。
文=柳羊
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