※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年10月号からの転載です。

「読みたいのに読めない」。
講演会などに赴くと、そんな嘆きや苦情に近い声を耳にしてきたという。そりゃ、そうだ。文学界に旋風を巻き起こした21世紀生まれ初の芥川賞作家のデビュー作、何よりこれほど本好きのツボを突くタイトルの小説はない。
「これまで林芙美子文学賞受賞記念の冊子と、雑誌掲載版しか世に出ていなかったのですが、本作と芥川賞受賞作『ゲーテはすべてを言った』、『携帯遺産』を、私は《初期3部作》と呼んでいて、その中でこれが一番好き、という人が多いんです。個人的にとても好きな短編2編と、単行本化では遅れてきた長男が一冊の本になり、とてもうれしいです」
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4万冊の本に囲まれ、九官鳥にトルストイの言葉を読み聞かせる唐蔵餅之絵(からくらもちのえ)。「人にはどれほどの本がいるか」は、蔵書整理を描いた物語だ。
「北九州の松本清張記念館に、清張の蔵書が生前の部屋のまま再現されている空間があるのですが、それに関するものを書きたいというところから、蔵書整理の話になっていったんです。というのも、執筆を始める1年前に父方の祖父が亡くなりまして。祖父は変わったものを溜め込む人でしたが、体調が悪化し、入院する際、何も持てずに家を出た。そのときの顔が本当に寂しそうで。一方、母方の祖母は大量の皿を集めていたのですが、収納場所がない、と家族に捨てられてしまった。二人が納得して収集物を処分する方法はなかったのか、とずっと考えていたんです。彼らの収集癖は自分にも確実に受け継がれていて、自分なら間違いなく本が問題になると容易に想像できたので、老人が納得して蔵書を整理していく過程を考えていきました」
自分の死後の蔵書について思いを巡らせる餅之絵。若い蔵書家と語らうなか、ぽろりと出たのが次の言葉。〈読書家としての私と蔵書家としての私は違うんだな。そして、私はずっと愛書家になりたかったんだ〉。
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「愛書家とは蔵書家のことなのか、それとも読書家のことなのか。蔵書を持つことと、読書をすることは並列することもあれば対立することもある。つまりたくさん本を買うほど、読めない本も出てくる。対立しがちなその二つをどう考えるか。それは自分も含め、多くの読書家が考える結構、重要な問いだと思うんです」
物語は、蔵書整理を手伝ってくれる19歳の魅力的な少女が現れて、というシンプルな主軸を進んでいくが、そこには物語を決してシンプルにはしない展開がぽこぽこ現れてくる。
文学作品からの引用は現実性を語るための土台
「小学生の時から、頭のなかにはいろんな人がいて、その人たちの生活をずっと空想している。だから自分にとって、物語を考えるということは特別なことではないんです。私の作品は情報量が多いので、語るべき情報をわかりやすく伝えるために、物語を工夫しています」
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鈴木さんの小説は文学作品の引用やパロディなど、研鑚を積み、得た《情報》で溢れている。
「だけど、誰かに読んでいただくものを書くときは、現実と繋げなくてはならない。架空と現実をきちんと関わらせるものとして、一番身近なものが本でした。若いということも関係あるかも。私の年齢だと、人生経験が足りないと言われがちじゃないですか。そこで自分が胸を張って言えるのは、人より本を読んできたということ。私のなかで経験としても、リアリティとしても、最も語りうるのは本だと思います。78歳の老人の胸中をちゃんと書けているかといえば心許ないですが、彼が78年間、読んできた本については責任を持って書ける。つまり文学作品の引用は、現実性を語るための土台なんです」
物語の締めの言葉もトルストイ作品から引用した愛に満ちた言葉。
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「タイトルの問いの答えみたいなものは、この言葉のなかにあるのかもしれません。この言葉を書いたのは、病院でバイト中の深夜でした。林芙美子文学賞の応募締め切りが翌日に迫っているのに、指定枚数に収まらず、無我夢中で削っていったのですが、何と最後に2行余ったんです。そこにトルストイのこの言葉がちょうど入るなと。ここにその言葉を置け! と誰かに言われた気がしました」
「猫にバイブル」を書いてものづくりの原点に返った
「完壁な辞書」は書き下ろし作品(「壁」はママ)。二人の高校教師が、国語辞書の誤りを見つけた数を競う《文芸競技(セルタメン)》に興じる物語だ。
「高校時代、英和辞典でそれをしていたおかしな先生たちがいて。そのエピソードと、自分の辞書への思いを合わせた小説です。ここで一回、気楽な小説を書いてみたい、とにかく笑える小説にしてみたいと。私は昔から言葉集めや言葉遊びが大好きで、これまで小説を書くときは、セーブしているところがあったのですが、今作は振りきりました(笑)。文面に組み込んだ辞書っぽい見た目も執筆中、楽しかったポイントです」
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「猫にバイブル」は、夏目漱石をモデルにした人物の門下生、作家・枢木六生(くるるぎりくお)が、猫に聖書を書く物語である。鈴木さんの父は牧師。自身も幼い頃から聖書を読んで育ってきた。
「まず日本文学について書いてみたかった。森鷗外について書こうと、資料を読み込んでいたのですが、進まなくて。そんなとき、両親と話していたら、《そういえば、聖書には猫が出てこないよね》という話になり、聖書はどこかで書いておきたいテーマだったので、ここで一度やってみようと。猫を出すと決めたとき、漱石を絡めようと浮かびました」
漱石、作中では「夏目拊石(ふせき)」から飼い猫を譲り受け、〈その猫にバイブルを書いてやりなさい〉と言われた枢木は、なぜ聖書には猫が出てこないのかという謎を紐解きつつ、猫にバイブルを書いていく。
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「自分で聖書を書き直すのは楽しかったですね。昔から礼拝で、牧師である父が語る話を、年下の子たちにマンガにして描いてあげたり、聖書のなかの話を使って創作することをしてきたので、自分のものづくりの原点に返った気がしました。昔から好きだった明治や大正の言葉を大量に使って。脚注を書くのも楽しかった。できれば全ての作品に注釈をつけたいくらい、私は注釈好きなのですが、自作に注釈はあまりよくないかな、と思って、これまたセーブしてきましたが、今回の設定であれば必然的にできるなと」
枢木の《遺稿》となった「猫にバイブル」が世に出てくることになる仕掛けも驚き! そしてその仕掛け自体がいかにも鈴木さんらしい。〈私の小説は私の人生と同じく、本から出てきて本に帰っていく〉という枢木の言葉も。
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「常に距離を保ちつつ、自分の全てを小説に投入していきたいんです。自分の映し姿みたいなものを出すのではなく、自分のなかにある全てのものを自分とはまるで違う箱に詰め込んで何ができるか。感覚的にはそういうことを考えています」
〈私は私の全てを持ち運ぶ〉。「人には~」で、餅之絵が語る言葉にも、それは重なってくるようだ。
「その言葉は、私が大切にしているキケロの名言。自分にとって大事なものは全て頭の中に入っているという意味ですが、それは私にとって、小説を書くときの基本であり、文学に期待する一番重要なこと。自分にとって全てと言えるものを一冊の本、ひとつの言葉に凝縮して持ち運ぶことができるのが文学のいいところだと思います。本は私たちを大きな世界に連れ出してくれ、考えを広くしてくれる。自分のなかに集まってきた情念や情報を、ひとつの紙の束に収めようとするその運動は、私にとって、すごく大事なものなんです」
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取材・文:河村道子 写真:朝日新聞出版写真映像部 東川哲也
すずき・ゆうい●2001年、福岡県生まれ。24年、「人にはどれほどの本がいるか」で、第10回林芙美子文学賞の佳作、25年『ゲーテはすべてを言った』で、第172回芥川賞を受賞。ほかの著書に『携帯遺産』がある。文学性とエンターテインメントを兼ね備えた完成度の高い作品が注目を集め続けている。

『人にはどれほどの本がいるか』
(鈴木結生/朝日新聞出版) 1980円(税込)
4万冊を超える本に囲まれ、九官鳥にトルストイの『文読む月日』を読み聞かせる日々を送る唐蔵餅之絵。大量の蔵書を整理した彼は、刻んだ書物を身にまとい、棺のなかに納められた。蔵書を巡る表題作と、辞書、聖書をテーマにした2作を収めた小説集。舞台となる時代はそれぞれ違うものの、3作には意外なつながりが……。知を求める得がたい歓びとその果てを問う3編。
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