※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年10月号からの転載です。

小さな町の片すみに、看板をともして30年。「スナックふたり」は、司と逸子、ふたりの熟年女性が営む小さなお店だ。実は川上さん、小説を書いたことのなかった10代の頃から、年配の女性を主人公にした物語を温めていたという。
「まだシスターフッドといった言葉も広く知られていない時代でしたが、50〜60代の女性ふたりのバディものを書いてみたくて。というのも、当時のテレビなどでお年を召した女性を“おばあちゃん”と呼ぶ風潮が嫌だったんですよね。親しみを込めているのはわかるけれど、その年代の女性が画一的に扱われているようで。本来は一人ひとり性格も違うし、若い頃と同じように面白いところもダメなところもいっぱいあるはず。誰も書かないなら自分が書こうと思い、ふたりが車に乗っていろんな場所で誰かと出会うロードノベルをぼんやり考えていました」
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ただ、なかなか書くことができないまま月日は流れていった。
「その年齢の女性が、どういう風にものを感じて、日々どんな生活しているか、実感を伴わないことには書けなくて。自分でも『いつ書くんだろう』と思っていましたが、同じ年代になってようやく書けそうだなと。とはいえ、この年になると、もう長旅なんてしたくない(笑)。そこで場所を固定して、お客さんに来てもらう話にしました」
コロナ禍で気づいた“どうでもいい話”の大切さ
居酒屋に比べて、スナックの扉は重たい。客同士の距離が近いため、川上さんも敬遠していたそう。なぜスナックを舞台にしたのだろうか。
「私は少数の限られた友達としか会わない人生を過ごしてきましたが、久しぶりにあったかつての同窓会が、思いがけず楽しかったんですね。30〜40代は、仕事や子育てでみんな忙しかったけれど、年齢を重ねると学生時代に戻って話ができる。そうやって気心が少し知れた相手と、軽い話ができる場として、思いついたのがスナックでした」
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コロナ禍を経たことも、心境に変化をもたらした。
「私は、普段からあまり人と会うこともないので、コロナ禍にひとりで家にいても以前と変わらないと思っていたんですね。でも、行き会った人と天気やニュースなどのなにげない会話をかわすのは、人間にとって必要なことだと気づいて。だから、みんなスナックに行くんだなと納得しました」
繰り広げるのは、深い話ではなくあくまでもどうでもいい話。そこがみそだという。
「そのほうが後味もいいですよね。年を取ると、結局深いところまでは人と分かち合えないこともわかってきて。自我にかかわるような突っ込んだ会話は、自分自身としている気がします。そういう話ではなく、友達と一緒になにか食べて『おいしかったね』と言い合ったり、ジムで軽く挨拶するくらいでいい。そんなことを言うと、“都会の孤独”だなんだと言われそうですけど(笑)」
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執筆にあたり、まず読んだのはスナック好きで知られる玉袋筋太郎さんの著書。実際にスナックを取材し、ママの仕事ぶりも参考にした。さらに、もうひとつヒントにしたのが、近所のいきつけの居酒屋「闇太郎」。
「『センセイの鞄』でも、モデルにした居酒屋です。私を『久しぶり』と迎え入れてくれるのは、このお店だけ。マスターのよもやま話も楽しいし、お客さん同士の距離感もほどよく、すごく居心地がよかったんです。先日閉店したのですが、54年間1日も休んだことがなかったそう。そこで『スナックふたり』も、決まった場所、決まった時間に、決まったふたりがいる店にしました」
“夢幻能”のように幽霊たちを救う場に
自称「世界一の水割り」をつくる司と、日替わりのお通しを用意する逸子。ふたりの息の合った接客は、「スナックふたり」の名物だ。でも、過去には逸子が男と駆け落ちするなど、いろいろあったようで……。
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「きっと、今に至るまでに喧嘩もたくさんしただろうし、口を利かないこともあったはず。そういう時期を過ぎて、今はいい関係になったんでしょうね。夫婦でも友達でも、ずっと一緒にいられる間柄って、相手を変えようとするのではなく、お互いに少しずつ変わるんだと思います。そうやって、でこぼこが合ってくる。このふたりも、たぶんお互いが相手に合わせていったんじゃないかな」
そんなふたりの店に集うのは、クリーニング屋のヒデさん・ショウコさん夫妻、高校教師のしーやん、酒屋の三代目・エガちゃんといった常連たち。彼らの他愛のない会話に、いつまでも耳を傾けていたくなる。
「書いているうちにするすると出てきましたね、あの人たちは。近くに勤めている人、帰りがけにちょっと飲んでいく近所の人など、なんとなく顔はわかるけれど素性はよく知らないこのあたりの人というイメージです。これも本で読んだ話ですが、スナックにはお金持ちもそうじゃない人も来るけれど、カウンターで並んで飲む分にはそんなの関係ないんだなと。仕事も属性も関係なく、素でいられる場所なのだと思います」
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お客相手だけでなく、司と逸子のふたりも開店準備や閉店作業中におしゃべりを交わす。司がお客をキノコにたとえてみれば、逸子が最近見ないお客について話したり。その一方で、ふたりは言葉にしないことの大切さも知っている。妙なお客が来たからと言って「妙だね」と口に出さないのが、ふたりの流儀だ。
「『あの人、嫌い』と言葉にすると、どんどん嫌になっちゃう気がして。『嫌なお客』と思っていても、とにかく相手はお店に来るわけだし、嫌がる気持ちはきっとお客にも伝わります。私が店主だったとしても、わざわざ『嫌だね』と口にしないような気がして」
時には、不思議なお客もふらっと店に現れる。冬なのに半ズボンにビーチサンダル履きの男性、元焼き鳥屋のタカハシちゃんが連れてきた若くて厳しい女のひと、ランドセルを背負った子ども。実は彼ら、この世ならざるものたちだ。
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「時々お能を観るのですが、その中に“夢幻能”というものがあり、四角い能舞台に成仏しきれない霊が現れ、高僧に鎮められて去っていく。練りあげられた形の芸能だと、深く心引かれました。夢幻能という形式が確立されていったのは、今よりも生と死が近い時代でしたし、みんなが魂を鎮めてほしい、救われたいと求めたから、こうした芸能が生まれたのだと思います。今は戦国時代ではないけれど、心に不安を抱えている人たちはいます。司も逸子も、徳が高いわけでもなければ成仏させてあげられるわけでもないけれど、スナックという舞台に上がったことで、幽霊もなにかしら救われたらいいなと思いました」
幽霊とはいえ、彼らは怨霊のたぐいではない。まったく怖くないどころか、むしろ気のいい霊が多い。
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「今の世の中、悲惨なこと、理不尽なことが多すぎますよね。だから、せめて自分が書く話の中では『そうじゃない世界もあるんだよ』と書きたかったのかもしれません」
逸子の前世に迫ったり、店にピンチが訪れたり。驚くような出来事も降りかかるが、それでもふたりは看板に灯りをともしつづける。物語が幕を下ろしたあとも、司と逸子はいつもの場所でお客を待っている気がしてならない。
「私も、まだ書き終わった気がしないですね。私は『古道具 中野商店』の中野さんが好きで、今でもほかの小説にたまにこっそり出てくるんです。このふたりも、そうなるかも。これからもきっと、私の中にずっといつづけるのだと思います」
取材・文:野本由起 写真:冨永智子
かわかみ・ひろみ●1958年、東京都生まれ。94年、『神様』でパスカル短篇文学新人賞を受賞しデビュー。96年『蛇を踏む』で芥川賞、2001年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞、15年『水声』で読売文学賞、16年『大きな鳥にさらわれないよう』で泉鏡花文学賞など、受賞多数。その他の著書に『某』『三度目の恋』など。
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『スナックふたり』
(川上弘美/中央公論新社) 2420円(税込)
「スナックふたり」は、年齢不詳の女性ふたりが切り盛りする小さなお店。2時間3500円で、カラオケは別料金。ある夜のお通しは、ひたし豆、煮びたし、ミニ茶碗蒸し。商店街の片すみで、夜ごと灯りをともすこの店には、他愛ないおしゃべりを楽しむために、今日も常連客がやってくる。時には、この世ならざるものも、肩を並べてお酒を酌み交わすようで……。ちょっと不思議、でも居心地がいい大人の宿り木物語。
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