
自身の心を揺らした経験を率直な言葉で綴るエッセイのほか、絵本やラジオなどの幅広い活動で支持を集める文筆家の伊藤亜和さん。新刊は、現代を気高く生きる女性たちをテーマにしたエッセイとショートストーリーを収めた『魔女になりたい』(文藝春秋)だ。「ずっとやりたかったことが実現できた」という本書は、どのように生まれたのだろうか。魔女という存在への思いや、本書を書き終えた今の関心事まで、幅広く話してもらった。

「魔女」は女性がなりたい姿と周りからの期待が重なった存在
――「現代の魔女」をテーマにエッセイを書こうと思ったきっかけを教えてください。
伊藤亜和さん(以下、伊藤):私はもともとファンタジーや魔法に親しんできて、子どもの頃はファンタジーと現実の区別もつかないほど没頭していたのですが、わりと早い段階で、自分は魔法を使えない側の人間だとわかってしまって。そういう自分の欠損感と――今は小説も書いていますけど、私は現実に基づいたエッセイから文筆業を始めて、(CREA WEBの)この連載を始めた頃もエッセイだけを書いていたので、なかなかそこから抜け出せず、現実世界にとどめられているっていうもどかしさもあって。そのふたつが重なったのがきっかけですね。
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――「私は魔法を使えない側の人間だ」とわかったのはいつ頃だったんですか?
伊藤:実はそこはまだ納得できていないんですけど(笑)。でも、小学校に入る頃ぐらいには、壁をすり抜けたり、空を飛んだりはできないってわかりました。今は、現実にある材料でどうにか魔女になれないか、ということをずっとやっていますね(笑)。魔法的な力はなくても、振る舞いやファッションとか、そういうところから魔女に近づきたいっていう思いはずっとあります。
――このエッセイで描かれる女性たちに共通する魔女らしさとはどういう点でしょうか。
伊藤:私自身がそうであるように、私の周りにいる女性って容姿や属性から、学生の女の子にありがちな「グループで一緒に行動する」という暗黙の了解から外れてしまったり、自分から拒絶していたりして、そういう振る舞いがわからないまま大人になった人が多いと思うんです。でも、今って、そういうふうに 「自分のルールで勝手に楽しくやっていく」という心の持ちようは良くないという風潮が強まっていますよね。とくにSNSでは、同じ属性の人間は同じ使命を背負って声をあげていくべきという雰囲気がある中で、私自身、そのことをまだ噛み砕けてない部分もあって。だから、連帯やシスターフッドの中ではなく、個人として生きている私の周りの子たちの状況を祝福したかったという思いもありました。
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――このエッセイを書きあげたことで、魔女の認識や「魔女になりたい」という思いは変わりましたか?
伊藤:古典的な魔女って、老婆でイヒヒと笑って、みたいなイメージがありますけど、最近のアニメなどでは、美しくて不老不死でミステリアスで、すごい力を持っているという描かれ方をよくされますよね。それに、女性って少なからず「魔女になりたい」って願望を持った時期があるんじゃないかと思っていて。そう考えると、老けなくて綺麗で、ミステリアスで賢くてっていう最近の魔女のイメージは、今、女性に求められている姿でもあるんですよね。このエッセイを書き終えて、女性たちの願望と、女性が外から求められるものが、ないまぜになった存在が魔女なんじゃないかと思いました。「魔女になりたい」という願望が、その時に求められる女性のあり方にもつながっていると最近は思ってますね。

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エッセイは現実だけど、私から見た別の世界。その境目を煙に巻きたかった
――エッセイに加えて、オリジナルのショートストーリー「わたしのはなし」を書こうと思った理由は?
伊藤:エッセイを書き続ける自分への疑問と、そこからの逃避願望というか(笑)。エッセイも、自分の視点で書いている限りは、現実であって、現実ではないと思っているんですね。私の目から見た世界を描いているから、事実はまた別のところにある。でも、読んでいる人にとっては、それが事実かどうかがすごく大事。その状況に、すごくプレッシャーを感じてしまって。これが嘘だと言われたら、自分の書いているものには価値がなくなってしまうのかしら、と思った時に、現実とフィクションをごちゃまぜにしたいという気持ちが生まれたんです。その表現の補助として、短いストーリーをエッセイの合間に入れていきました。
事実か嘘かは、どっちでもいいというか。と言ってしまうと「じゃあ嘘なんだね」と思われるかもしれないけど、嘘ではなくて、私の視点で見た現実なので。そこに縛られず楽しんでもらうために、煙に巻きたいなという気持ちがありました。でも今回は、周りの女性たちの話を書かせてもらえたことがとても大きいです。このエッセイに登場している友達のひとりが、「亜和の世界でそう見えているのならそれでいいし、事実がどうこうより、亜和の視点からそう書いてくれていることが嬉しい」と言ってくれたんです。そういう人たちに助けられて、今の私はいるなってすごく感じます。
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――「わたしのはなし」の物語は、どのように作っていったんですか?
伊藤:小さい頃から観ていた『キリクと魔女』という映画にインスピレーションを得て書いたお話です。『キリクと魔女』は、男の子が、魔女にさらわれる人たちを助けて最終的に魔女を救済するという話なんですけど、小さい頃は主人公のキリクの目線で観ていたから、最後、魔力を失うという展開が理解できなかったんです。でも大人になると、悪者とされていた魔女の事情にすごく共感できて。棘を打ち込んだのは村の男たちで、その苦しい棘が魔女に魔力を与えていたことが、おとぎ話でもなんでもなく、今の女性たちにもあることだなと思いました。
過去に自分を苦しめた棘のようなものが、怒りとして自分の中でどんどん成長して、起きた事実とかけ離れていって、最終的にその棘にのみ込まれてしまうということは、現実によくあるので。そこから降りていいんだよ、自分の人生を歩めばいいんだよということを伝えたくて、この物語を書きました。
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――物語の内容と、エッセイに登場する女性たちの姿が重なると感じました。
伊藤:彼女たちも完全に棘から解放されたわけではないと思います。不安定になることも、迷うこともあると思うけど、自分で苦しむ力を持っているんですよね。社会構造とか政治とか、自分を抑圧するものはたくさんあって、その存在は否定できないけれど、外的な事実がどうであれ、すべて自分事として向き合って解決していく。そういう気持ちは、私自身も持っていたいなとずっと思っています。

軽やかに自分を疑い続けたい
――本書を書き終えて、また30歳という節目を迎えるにあたり、「私はこうありたい」という姿について、思い至った答えはありますか?
伊藤:信念はないほうがいい、ということですね。絶対に譲らないことがあるとうまくいかないことが多いとわかって、信念を持たないことを信念にしようかなと最近、思ってます。信念は自分への呪いにもなるので、軽やかに自分を疑い続けて、どれだけ自分を破壊し続けられるかが大事だなと思いますね。やっと捕まえたものを手放すのはすごく勇気がいることですが、そうしないと新しいものが手に入らないので、これからは意識的に手放していきたいです。
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――文筆家として今後チャレンジしたいことや、関心のあることを教えてください。
伊藤:最近、子どもに興味がありますね。それもあって、今年、『モプーはヘンダ』という絵本を書きました。子どもが読んでどう思うかとか、今の子たちはどういう会話をしているのかがすごく気になっています。魔女について書こうと思った時も、最初は、絵本にしようと思っていたんです。小さな男の子がいろんな個性を持った魔女たちに遭遇して何かを授けられるというお話を考えていたので、それも実現できたらいいなと思います。
私は、誰かを啓蒙したいとか、メッセージを伝えたいという意識はあまりないんです。斜に構えた性格のせいか、時代や社会を見る目もないから、社会問題の文脈で発信することもできなくて。どうしても個人の動きに目がいってしまうから、ずっと、ひとりひとりをしつこく見つめて書き続けていくのだろうなと思いますね。

取材・文=川辺美希、撮影=後藤利江
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