サンミュージックプロダクションに所属する若手の漫才コンビ・無尽蔵は、ボケの野尻とツッコミのやまぎわがどちらも東大卒という秀才芸人。さまざまな物事の起源や“もしも”の世界を、東大生らしいアカデミックな視点によって誰もが笑えるネタへと昇華させる漫才で、「UNDER5 AWARD 2025」では決勝に進出・「M-1グランプリ」では2024年から2年連続で準々決勝に進出し、次世代ブレイク芸人の1組として注目されている。新宿や高円寺の小劇場を主戦場とする令和の若手芸人は、何を思うのか?“売れる”ことを夢見てがむしゃらに笑いを追求する日々を、この連載「尽き無い思考」で2人が交互に綴っていく。第44回はやまぎわ回。
東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載「尽き無い思考」/第44回(やまぎわ)「芸人のスクショが氾濫している~引用文化から見る“思考の分業”~」
第44回(やまぎわ) 「芸人のスクショが氾濫している~引用文化から見る”思考の分業”~」
お疲れさまです。無尽蔵のやまぎわです。
SNSには日々刺激的な情報が刹那的に流れ、われわれの脳をドーパミンで濡らします。そこでよく見かけるのが、芸人をはじめとする有名人の発言を引用した投稿です。
例えば有名人のテレビやYouTubeでの発言は、たびたびスクリーンショット付きで取り上げられています。弊コラムもバズる際には、コラムの一部発言の引用やスクショを見ていただいた方に投稿してもらい、そこからさらに注目を集めるというのはよくあるパターンです。
なぜ人はこのように、人の発言を引用して投稿し、その発言は注目を集めるのでしょうか。
僕なりに理由を考えるとすれば、それは「匿名の意見が溢れる正しさが定まらない世界」で、「非匿名で意見を言い切ってくれること」の痛快さがあるのかなと思っています。
SNSによって、近所の井戸端会議が世界レベルのレンジに広がった昨今、われわれは「色々な正しさ」を知りました。答えが一つに定まらない問いが増え、「自分はこう思う」と言い切ること自体が、誰かにとっての「それは違うだろ!」を誘起することともなり、一定のリスクをはらむようになったのではないかと思います。
そこで昨今は、そのリスクの代替者として、有名人の発言が耳目を集めているのではないでしょうか。
自分の思想・価値観・温度感と似た発言が有名人から飛び出した。それを引用する、いいねすることで、自らのアイデンティティを限りなくオブラートに包んだ形で世界と接続させることができる。安全なエリアからは逸脱せずに、「自分の正しさが認められた」という自己承認を得られる手段なのかもしれません。 アダム・スミスが提唱する分業論が、人間の内面にも進出しているようです。
それは表現する側からしても、1つの本懐といえるかもしれません。過去のコラム(ex.第40回)でも述べていますが、自ら歩んだ人生から生まれた表現が、誰かに共感という安らぎを届けられれば、それはもう十分な喜びです。もちろん閲覧者としての僕自身も、表現者の方々のインタビューを見て、「いやマジでそうだよな」と思ってほくほくする時間を至福に感じています。
一方で、この文化が扇動する危険性もあると思っています。それは「断定表現が流行る」ということです。
先ほど述べた通り、世の中は言い切れないことばかりです。しかし、そこであえて言い切って見せることは、本当の正しさ如何にかかわらず「正しく見える」。そこで賞賛された表現者は、より断定的な表現、レッテル貼り、主語の大きな詭弁、極端な表現に流れてしまう恐れがあります。
そのような表現は、「言い切っていることそのものがはらむ不正確性」にかかわらず、その分かりやすさから甘美な耳心地となり、「言い過ぎてるかもだけど、確かにそうだよね」という感情を受け手に抱かせます。
もしくは極端な意見としてしばしば炎上もしますが、それもまた「これはあり得ないよね」と断ずることで、自分の正しさを改めて実感し、引用者は安心しているようにも見えます。
悲しきかな、先ほど述べた共感とは全く逆の「反感」によってでも、「自分は大丈夫なエリアにいる」という社会的な立ち位置を確認することができるようです。
フォロワー数やいいね数などの影響力が金銭にも直結するようになったこの世界で表現者は躍起になりますが、その結果、表現者は「悪意なき引用者」によって、特定思想のアイコンにされることもあります。
後から「ノリですやん」「喜ばせたかったんですやん」と言っても、取り返しはつきません。どちらが悪いか敢えて決めるなら、自分は「言った方が悪い」と思います。リターン欲しさにリスクを引き受けたのですから。(その発言を仕向けたプロデューサーのような人間がもし裏にいるのであれば、同様に責任を引き受けるべきかと思います)
ここまでの話をまとめると、このSNS世界の中で人は、よりリスクを志向する表現者と、よりノーリスクを志向する引用者の二極化が進んでいるのではないか、ということです。良い悪いではなくそういう傾向がみられるのではないかということです。大事なのはその傾向を踏まえて、僕たちがどうあるべきかです。
ここまで色々として考えてきましたが、結局表現者(芸人)としての僕にできることは、「その発言、地に足ついているか?」ということを自問自答し続けるしかないように思います。その発言は自分の身体性の上に立脚しているのか? 表現を自分の価値観として責任を取り切る覚悟が僕らには求められています。
閲覧者としての自分にも内省をしておくのであれば、やはり同様に「思考を止めない」ことかと思います。
いちばん大事な自分の思想信条やアイデンティティまで他人に分業してもらっていないか。考えることを止め安易な断定表現に逃げず、都度最適を考えられる胆力を持ち合わせているか。皆が思考を他人に預けてしまえば、それこそ「デマゴーゴス」に支配されやすい世の中にもなってしまうと思います。
そもそも、自分の考えが存在すること自体には、正しいも間違っているもありません。誰かに認められなければ自分の考えが成立しないわけでもないです。世の論争も結局好みみたいなところはあります。そのことくらいは、折に触れ思い出してもいいかもしれませんね。
とは言え、正しさが氾濫するこの世の中で、自らの一本足で立ちきるのは難しく、だからこそ誰かに支えてほしいのかも。皆、この世の中にあっていちばん不安定な存在が自分であることを知っているようです。
なんなら「俺はこう思う!」より「誰々さんがこう言ってたよ」のほうがむしろ説得力を持った世の中なのかもしれません。
僕のこの考えも、古代の哲学者○○が同じようなことを…、言っていればよりもっともらしさが高まるのかもしれませんね。
■無尽蔵
サンミュージックプロダクション所属の若手お笑いコンビ。「東京大学落語研究会」で出会った野尻とやまぎわが学生時代に結成し、2020年に開催された学生お笑いの大会「ガチプロ」で優勝したことを契機としてプロの芸人となった。「UNDER5 AWARD 2025」では決勝に進出、「M-1グランプリ」では2024年から2年連続で準々決勝に進出。
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