
※本記事では『宇宙兄弟』に関する若干のネタバレがあります。未読の方はご留意ください。
小山宙哉氏による『宇宙兄弟』最終巻の46巻が、2026年7月22日に刊行された。『モーニング』での連載期間は、実に18年半あまり。丁寧に描かれた人物描写が印象深い本作を、名場面と共に改めて振り返りたい。
1.「まずは音を出して」シャロンに背中を押され、六太が宇宙飛行士への第一歩を踏み出す
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“「上手くなくてもいいし 間違ってもいいのよムッタ
まずは音を出して
音を出さなきゃ音楽は始まらないのよ」”(1巻)
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シャロンのこの言葉に背中を押された人が、きっと大勢いるだろう。何を隠そう、私自身もその一人である。連載開始当初の六太は、宇宙飛行士の筆記試験に後ろ向きであった。母親と弟の日々人の計らいで、書類選考には通ったものの、六太は一時審査の筆記試験を「受けない」と言う。その理由は、「俺程度の人間はふるい落とされるってわかってるから」。
壁の高さに怯え、やる前から諦めてしまうのは大人の悪い癖だ。そんな六太に、シャロンは問う。
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“「今のあなたにとって……一番金ピカなことは何?」”(1巻)
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子ども時代の六太は、さまざまなことに臆さず挑戦し、難しいことを率先して選ぶタイプであった。しかし、数多くの挫折を味わったことで、その頃の六太は影を潜めてしまう。成功する確率が低いものに挑戦しなければ、挫折も失敗もない。でも、そこに自分の中の“金ピカ”があるのなら、まずは一歩踏み出してみようとシャロンは語る。この場面なくして、宇宙飛行士「南波六太」は存在しない。
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2.“ここにいたんだ”――宇宙への憧れを熱く語り合える仲間との出会い
本作の中で私がもっとも好きな場面は、「閉鎖環境訓練」である。JAXAが取り仕切る特殊な環境下で、固定のメンバー5人が衣食住を共にする。訓練は同時に互いの実力を競い合う側面もあり、メンバー内の人間関係はしばしば揺れ動く。だが、そこで六太が持つ独特の空気感と穏やかな人間性が功を奏すのだ。
六太が共に競い合った仲間は、せりか、やっさん、新田、福田。この4名は、のちのちまで作中で大事な役どころを担う。JAXAが出すグリーンカードにより、互いに疑心暗鬼になるも、最終的に絆を深め合った5人は、訓練の最終局面において、六太の提案によりうどんを捏ねる。そこで六太がぽろりとこぼした「シャロン」の名前にみんなが食いつき、宇宙の話に花を咲かせるメンバーの生き生きした表情を見渡して、六太は心の内でこう呟く。
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引用----
“ここにいたんだ
誘ったら喜んでついて来てくれそうな連中が……
ここにいたんだ”(4巻)
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子ども時代、宇宙の話を本気で語り合える相手は日々人だけだった。しかし、試験を通して自分と同じような子ども時代を過ごしてきたであろう仲間に出会い、六太の心は充足感で満たされていく。競い合ったライバルが、いつしかかけがえのない友になる。その点も、本作の大きな魅力の一つといえよう。
3.日々人の月面着陸時、泣き笑いで弟を見守る兄・六太。悲願を果たした日々人への賛辞が、内側にくすぶる劣等感を上回る
いよいよ日々人が月面に降り立つ瞬間、六太は泣き笑いの表情で楽しげな日々人を見守る。だが、そこに至るまでには大きな葛藤があった。
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兄として、弟の日々人に先を越されたことに不甲斐なさを感じる六太は、ロケット打ち上げの際も複雑な心境を吐露している。それゆえ、日々人の月面着陸をどんな感情で見守れるのか、自分でも測りかねていた。しかし、実際の六太の感情、表情は至ってシンプルであった。
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“ずっと知りたかったことがある
日々人が月に降りた時――私の顔は笑っているだろうか
それとも泣いているだろうか
それがどっちか今わかった――両方だ”(7巻)
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他者の夢を心から応援し、成功を共に喜ぶことができる。こういうところが、六太の大きな魅力だと思う。焦燥感により妬みをぶつけるのではなく、「自分もがんばろう」と前を向く。互いに切磋琢磨する南波兄弟の関係は、私たちに多くの示唆を与えてくれる。
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4.「本気の失敗には価値がある」技術畑にいた六太だからこそ出た言葉に、ピコとビンスが共鳴する
モノ作りは、どんな場合でも一筋縄ではいかない。度重なる失敗と、それをもとに繰り返される試作。トライ&エラーを諦めなかった者だけが到達できる領域があり、人命を担う「モノ」を作るとなれば、そこに求められる精度は相当なものだろう。
ローバー制作の試験も、本作において印象深い場面の一つである。ロケット帰還時のパラシュート制作を担うピコは、過去に味わった恐怖と絶望を忘れられずにいた。六太たちのアドバイザーでありながら、制作に必要な助言はほとんど行わない。そんなピコの態度に辟易していた六太だが、ある会話を境にピコの様子が一変する。
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六太はもともと、自動車メーカーの開発部門で働いていた。ゆえに、モノ作りには精通している。その経験から出た六太の言葉が、酒浸りになっていたピコの胸に届く。
引用----
“「本気の失敗には価値がある」”
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この言葉は、ピコとビンスの親友の口癖だった。六太は、こうも語っている。
引用----
“「モノ作りには……失敗することにかける金と労力が必要なんだよ
いい素材使ってるモノがいいモノとは限らねえんだ
だけど――失敗を知って乗り越えたモノなら それはいいモノだ」”(11巻)
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失敗を知って乗り越えたモノ。その先で、守られる命がある。モノ作りにかける職人の矜持のみならず、裏方の類まれなる技術が宇宙飛行士を支えているのだと改めて痛感する場面でもある。
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5.「ヒビトを試すためなのか、救うためなのか」バトラー室長の言葉の意味と、仲間たちの絆
月面での船外活動において、日々人は生命の危機に晒された。それが引き金となり、帰還後の訓練でパニック障害の症状に悩まされる。明るく楽観的な日々人がPD(パニック障害)に苦しむ場面は、多くの読者が固唾を呑んで見守ったことだろう。
NASAは、日々人がどんな環境下においても発作が出ないことを確かめるべく、厳しい状況をわざと作り上げ、試験に挑ませる。だが、日々人と月面で苦楽を共にした仲間たちは、それとは真反対のやり方で日々人を救おうとした。
引用----
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“「これは……何のための試験なのか……
ヒビトを試すためなのか 救うためなのか
私は後者のつもりでいましたが やり方が違ったかもしれません
ヒビトを独りにし プレッシャーや恐怖心に打ち勝たせようとするのではなく
ヒビトが一番……幸福だった時のことを思い出させてやる
それが……同じ仲間(クルー)である彼らなりのヒビトの救い方です」”(18巻)
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バトラー室長のこの言葉に、PD経験者の多くは頷いたことと思う。安心できる環境で成功体験を積み重ねる。それこそが治療の第一歩であり、日々人が新たな挑戦へと踏み出す足がかりとなるのだ。
本記事では、六太が月面に到達するまでのエピソードの中から名場面を5選セレクトした。月面到達後の名場面5選とあわせて、『宇宙兄弟』の歩みを共に振り返ってもらえたら幸いだ。
文=碧月はる
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