芥川賞の発表は、ときに作品の評価を超えて社会的な事件になる。描かれた性や暴力が「不道徳だ」と批判された作品、選考委員の意見が真っ二つに割れた作品、著者の若さや芸能活動ばかりが注目された作品、さらには生成AIの使用が創作の定義を揺さぶった作品まである。
本記事では、受賞当時に強い賛否を呼びながら、現在まで読み継がれている5作を紹介する。物議を醸した理由を知ってから読むと、作品の背後にある時代の価値観や、文学に求められてきたものまで見えてくるはずである。
1)『太陽の季節』石原慎太郎

倫理も愛情も置き去りにして生きる若者たちが、戦後社会を騒然とさせた
『太陽の季節』は、1956年に第34回芥川賞を受賞した作品だ。当時最年少で芥川賞を受賞したデビュー作は戦後社会に新鮮な衝撃を与えた。
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退屈な既成道徳に背を向け、海辺で享楽的な日々を送る若者たちの肉体と性を描いた青春小説。
女とは肉体の歓び以外のものではない。友とは取引の相手でしかない…。退屈で窮屈な既成の価値や倫理にのびやかに反逆し、若き戦後世代の肉体と性を真正面から描いた主人公たちは恋愛すら取引のように扱い、相手を傷つけることにもためらいを見せない。その反倫理的な内容に文壇の一部が眉をひそめる一方、既存の価値観を壊す新しさに熱狂する若者も現れた。受賞後には、アロハシャツやサングラス姿で遊び歩く若者を指す「太陽族」という言葉まで生まれることになる。いま読むと不快さも強いが、その不快さこそが当時の社会を揺さぶった理由なのだろう。
芥川賞選評では、ノーベル文学賞受賞者でもある川端康成氏が「第一に私は石原氏のような思い切り若い才能を推賞することが大好きである」と語ったり、舟橋聖一氏が「今回はこの一作しかないと思って、委員会に出席した」と評価した一方で、「この作品から作者の美的節度の欠如を見て最も嫌悪を禁じ得なかった」と難色を示す意見もあった。
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指標:社会への衝撃度★★★★★/倫理的ざわつき度★★★★★/時代性★★★★★
2)『限りなく透明に近いブルー』村上龍

ドラッグ、暴力、性――若者の破滅的な日常を描き、選考会まで真っ二つに割った
単行本・文庫本を合わせて、芥川賞受賞作史上もっとも売れた本、それが村上龍の『限りなく透明に近いブルー』だ。
米軍基地の近くで暮らす若者たちが、薬物や酒、セックスに溺れながら空虚な日々を送る物語。主人公リュウの周囲では刺激的な出来事が次々と起こるが、そこに強い目的や希望はない。だからこそ、快楽を重ねても何も満たされない若者たちの喪失感が浮き彫りになる。発表当時は内容の過激さが大きな話題となり、芥川賞の選考でも支持と猛反対がぶつかった。従来の純文学らしさから大きく外れた作品を受賞させるべきかという議論まで巻き起こした、文学史上屈指の問題作である。
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なお、芥川賞の選評の一部を抜粋すると、吉行淳之介氏は「この数年のこの賞の候補作の中で、その資質は群を抜いている」「因果なことに才能がある」と語り、丹羽文雄は「魅力を強烈に感じた」「20代の若さでなければ書けない小説である」と評価した一方、「内容に比べて二百枚という長さは退屈である」「何が言いたいのかサッパリわからない」とする意見もあった。
指標:過激度★★★★★/虚無度★★★★★/選考紛糾度★★★★★
3)『蛇にピアス』金原ひとみ

舌を裂き、体に刺青を入れる――痛みだけが、生きている実感を与えてくれる
吉高由里子主演で映画化もされた本作『蛇にピアス』。自分の舌を蛇のように二股にする「スプリットタン」に魅せられた若い女性・ルイが、身体改造と危険な恋愛にのめり込んでいく物語である。ピアス職人のシバ、スプリットタンを持つアマとの関係を通じ、ルイは痛みや性、暴力の中に自分の存在を確かめようとする。大胆な性描写や身体改造の生々しさに加え、20歳の金原ひとみと19歳の綿矢りさが同時受賞したことで、作品以上に若い女性作家の容姿や私生活まで消費される騒ぎとなった。刺激の奥にある孤独や自己破壊の切実さを読むと、単なるショッキング小説ではないことがわかるだろう。
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第130回芥川賞の選考会には、上で紹介した石原慎太郎氏や村上龍氏も名を連ねている。石原慎太郎氏は「私には現代の若もののピアスや入れ墨といった肉体に付着する装飾への執着の意味合いが本質的に理解出来ない」としたが、村上龍氏は「推そうと思い、反対意見が多くあるはずだと、良いところを箇条書きにして選考会に臨んだが、あっさりと受賞が決まってしまった」と話している。
なお、この130回芥川賞では当時19歳だった綿矢りさが『蹴りたい背中』で同時受賞しており、さらに当時20歳だった島本理生が『生まれる森』という作品で芥川賞候補になっていた。
指標:身体的痛さ★★★★★/衝撃描写度★★★★★/孤独の深さ★★★★☆
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4)『火花』又吉直樹

「芸人だから受賞できた」のか――作品より作者の肩書きが先に語られた芥川賞
お笑いコンビ・ピースとして活躍する又吉直樹が芥川賞を受賞し、大きな話題になった。『火花』は、売れない若手芸人・徳永が、常識外れの天才肌の先輩芸人・神谷に弟子入りし、笑いと人生について語り合う青春小説だ。芸人として成功したい徳永と、自分の信じる笑いを曲げられない神谷の関係を通じ、才能、努力、売れることの残酷さが描かれる。
受賞時には、お笑い芸人・又吉直樹が書いたという話題が先行し、「お笑い芸人としての知名度が選考に影響したのではないか」「本当に文学として評価されたのか」といった声も上がった。一方で累計発行部数は278万部に達し、純文学を普段読まない層まで巻き込んだ。その騒ぎも含め、芥川賞の存在意義を問い直した一冊だろう。
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選評会では、宮本輝氏が「読み始めると、生硬な『文学的』な表現のなかに純でひたむきなものを感じ始めた」と評価した一方で、村上龍氏は「新人作家だけが持つ『手がつけられない恐さ』『不思議な魅力を持つ過剰や欠落』がない」と語った。
指標:社会現象度★★★★★/作者注目度★★★★★/青春の苦さ★★★★☆
5)『東京都同情塔』九段理江

芥川賞受賞作の一部を生成AIが書いた――それは創作と呼べるのか
第170回の芥川賞受賞作は九段理江の『東京都同情塔』。犯罪者を「ホモ・ミゼラビリス」と呼び、快適に暮らせる高層刑務所「シンパシータワートーキョー」を建設する近未来の東京を描いたディストピア小説だ。設計者の牧名沙羅は、誰も傷つけない言葉を追求する社会に違和感を抱きながら、言葉と現実のずれに迷い込んでいく。受賞会見で九段理江が「全体の5%くらいは生成AIの文章を使っている」と明かしたことで、AIを使った作品に文学賞を与えてよいのか、人間の創作とは何かという議論が一気に広がった。しかもAIと言葉が作品自体の主題でもあるため、制作方法まで物語の一部に見えてくるのが面白い。
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芥川賞選評会では、山田詠美氏が「硬質でAIっぽい文章が続く中、時折、叙情的なパートが魅力的に浮き上がる」と、平野啓一郎氏が「本作は三島由紀夫の『金閣寺』の影響が顕著で、しかもそれをほとんど感じさせないほど、荒唐無稽ながら力強い斬新な世界を構築している」と評価した一方で、「登場人物に人間的な息遣いを感じることができなかった」と、厳しい意見もあった。
指標:議論喚起度★★★★★/現代性★★★★★/言葉の迷宮度★★★★★
物議を醸した作品が、必ずしも万人に愛される名作とは限らない。読んで不快になったり、受賞理由に納得できなかったりすることもあるだろう。しかし、強い反発が起きるのは、その作品が当時の常識や文学の境界線に触れた証拠でもある。性と倫理、薬物と暴力、若さと身体、芸能人の文学参加、生成AIによる創作。
今回の5作は、それぞれ異なる方法で「どこまでを文学と呼ぶのか」を読者に突きつけた。受賞をめぐる騒動を答え合わせとして眺めるのではなく、自分ならこの作品を評価するかと考えながら読むと、芥川賞がぐっと面白くなるだろう。
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