
村上春樹の小説は「食」に対して、きわめて執拗なところがある。料理や食事の描写は空腹を満たす行為以上の意味をもつと考えるべきだろう。
とくに『羊をめぐる冒険』(講談社)では、劇的な展開や不思議な出来事の合間に、料理をして、あるいはお店へ入って食べる行為を繰り返し書いている。

物語の発端は、友人“鼠”の失踪と、北海道で撮影した一枚の写真だ。そこに写っていた“星の印を背負った羊”を追うため、「僕」は旅に出る。その時彼は離婚と友人との仕事の喪失という孤独な転機を迎えていた。ただ彼には“耳の美しい”ガールフレンドがいて、この奇妙な旅に同行する。
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二人は一緒に外食をし、作った料理をともに食べる。そして別れるのだ。
■印象に残るのは食事と孤独
では『羊をめぐる冒険』の「食」のシーンをいくつか引用していく。
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ビールが運ばれてくると、僕はそれを二口で呑んだ。そして小皿についてきたピーナツも全部食べた。
(上 221ページ)
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「僕」は、一人の時は食事を楽しむというより事務的に“こと”を済ませている印象だ。彼は孤独ではあるが、好きな時に好きな料理を食べ、コーヒーやビールを大いに飲んでいる。不思議と暗いイメージはない。
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引用----
近所の行きつけのスナックに入ってチキン・カツレツとロールパンを注文し、それができあがるまでブラザーズ・ジョンソンの新しいレコードを聴きながらまたビールを飲んだ。
(上 249ページ)
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ここでも「僕」は一人だ。だが、この後には「食事をしたような気になれなかった」と続く。満たされない空腹と孤独が、淡々とした筆致の裏側で静かに膨らんでいく。
引用----
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彼女はスパゲティーを疑わしげに一本一本点検しながら食べていた。
(上 265ページ)
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引用----
僕はグラタンのかたまりを口の中で少しさましてから呑みこみ、すぐに冷たい水を飲んだ。
(上 266ページ)
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「僕」とガールフレンドがレストランに入った時の描写では、一転して料理と食べる行為そのものが細かく書かれている。食事の風景に現実感がある。
引用----
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トースターでパンを焼き、フライパンにバターをひいて目玉焼きを作り、冷蔵庫にあった葡萄ジュースを二杯飲んだ。
(下 160ページ)
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ガールフレンドが「僕」の前から去った。その後、彼は朝から一人で食事を作る。そして「僕」は再び訪れた孤独に立ち向かうのだ。
それからの「僕」は、玉ねぎを炒めてハンバーグ・ステーキを作り、ロースト・ビーフを焼き、鮭のマリネや野草の煮物やキャベツの漬物も作る。黙々と台所に立ち続ける姿からは、孤独を埋めるための儀式のような反復が見えてくる。
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■「食」が非現実的な物語を際立たせる。
本作において料理と食事は、非現実的な出来事が起こる物語の中で、現実に接続している大切な足場だ。「食」の描写はただの情景ではない。それは生々しく、日常の手触りを感じさせ、登場人物の孤独を静かに照らしている。そして、この現実味が不思議な物語の“けれんみ”を強くしているのだ。
「食」は、もちろん料理のように温かく、私たち読者とも接続する。物語の中の「僕」が台所に立つたび、何かを口に運ぶたび、読者の現実にも同じ匂いがふっと立ちのぼる。子どものころは分からなかったビールやコーヒーの味が、今ではページの余白から静かに滲み出してくるのだ。
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気がつけば私も、冷蔵庫からビールとしなびたサンドウィッチを取り出し、ページの向こうの孤独とゆっくり歩調を合わせている。ビールの泡とともに、孤独のビターな余韻が口にじわりと広がっていく。
文=古林恭

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