
性にまつわる悩みや違和感。それは、誰にとっても決して遠いものではない。けれど、その話題はどこか話しづらい空気もあり、苦しみを抱えながらも声を上げられない人も多いという。
そんな“性”と真正面から向き合い、性被害やセックスレス、コミュニケーションの断絶など、誰にも言えない痛みに寄り添ってきた作品が『SとX ~セラピスト霜鳥壱人の告白~』だ。2021~22年に「イブニング」で連載され、大きな反響を呼んだ本作が、続編『SとX セラピスト霜鳥壱人の診察室』として帰ってきた。
主人公は前作に引き続き、セックス・セラピストの霜鳥壱人だが、性犯罪やネット被害が日々報じられる今だからこそ、本作はより切実な現代の物語として胸に迫ってくる。
そんな『SとX セラピスト霜鳥壱人の診察室』の単行本第1巻が発売される今、作者・多田基生先生にインタビューを敢行。Netflixシリーズとして映像化&世界配信も控える本作について、前作誕生の背景から続編に込めた思い、そして“性を描く”ことの現在地までじっくり話を聞いた。
――まず、『SとX セラピスト霜鳥壱人の診察室』へとつながる前作、『SとX ~セラピスト霜鳥壱人の告白~』についてお伺いします。2021〜22年に「イブニング」で連載され、大きな反響を呼んだ本作ですが、どのような経緯で生まれた作品だったのでしょうか。
多田基生(以下、多田):もともとはまったく別のお話を描こうとしていて、1年以上かけて構想を練っていました。その過程で「自分が連載で本当に描きたいものは何か」と、改めて考えるようになって。そこで強く浮かんできたのが、“性”について描きたいという思いでした。
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当時は、性をテーマにした作品というと、刺激的だったり、過激な表現だったり、どこかセンセーショナルなものが注目されやすい時期でもあったように思います。もちろん、そういった作品にも魅力はありますし、私自身も好きなんですけど、どちらかというと、もっと共感できるものにしたい気持ちがありました。読んだ人が「ああ、こういうことあるよな」と自然に思えたり、自分のなかにある感覚に気づけたりするような作品にしたかったんです。
――“性”というテーマに惹かれた背景には、日常のなかで感じていた違和感のようなものもあったのでしょうか。
多田:実際、自分の身近な人たちの話を聞いていても、性行為のなかで「本当はこうされたくなかった」と感じている人は少なくなくて。たとえば「胸を触られるのは苦手だけど、相手は触れたがっている」とか「コンドームをつける・つけない」といったことも含めて、本当はしっかりと話し合うべきことなのに、それがうまくできない人が多いと感じました。
周りから見れば「言えばいいじゃない」と思えることでも、実際には、それを口にすることで空気が壊れてしまう怖さがあったりする……。そもそも性行為のなかで、どうコミュニケーションを取ればいいのかを学ぶ機会自体あまりないですし、“性について話すこと=いやらしいこと”というイメージもまだ強い。だからこそ、そういう印象を少しでも払拭したいという思いがありました。性について話すことを、もう少し自然なものとして描けたらいいなと。
――『SとX ~セラピスト霜鳥壱人の告白~』第1話冒頭の「誰しもが性の喜びを健康的に感じる権利がある」という言葉がとても印象的でした。本作の根底に流れているテーマでもあると思うのですが、なぜ“権利”という言葉に行き着いたのでしょうか。
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多田:自分が描きたいことに対して「じゃあ何が答えなんだろう」ということは当時からずっと考えていました。もちろん、「ちゃんと(性について)コミュニケーションを取ったほうがいい」という感覚はある。でも、なぜそれが大事なのかを自分のなかでうまく言語化できていなかったんです。
そんな時に出会ったのが、日本性科学会(※1)が出版している『セックス・セラピー入門 性機能不全のカウンセリングから治療まで』でした。本の中で、「性の健康や権利は人権である」という考え方に触れて。さらに、性には生殖だけではない、さまざまな意味や役割があることも書かれていて、すごく衝撃を受けました。
※1 性の健康の推進をはかる性科学分野の学術団体。霜鳥のようなセックス・セラピストの養成や認定も行っている

――まさに冒頭のメッセージですね。
多田:それを読んだ時に、「ああ、これは人権の話なんだ」と初めて気づかされた感覚がありました。自分自身、これまでそういうことをきちんと学ぶ機会がなかったけれど、性の健康や権利って、実際には心身の健康にすごく直結しているんですよね。
……言われてみれば当たり前のことなんですけど、改めてそう認識した時に、性というものが人間にとってすごく根源的な欲求であり、大切な営みなんだと実感したんです。だからこそ「もっと真面目に向き合わなきゃいけないテーマなんじゃないか」という一心で、それを主題にしたマンガを描きたいと思うようになりました。
――なるほど。そうしたテーマ意識を持つなかで、ほかにも影響を受けた作品はあったのでしょうか。
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多田:Netflix「セックス・エデュケーション」の存在も大きかったです。本作では、性に関する“その人らしさ”みたいなものがすごく丁寧に描かれていて。性って、単に恋愛や性行為の話だけじゃなくて、その人の生き方や社会との関わり方にも影響しているんだなと感じたんです。
たとえば、「男性らしく/女性らしく振る舞わなきゃいけない」とか、そういう社会的な役割や圧力も含めて、性の問題を真正面から描いていることにすごく衝撃を受けました。同時に「こういう作品を日本でもできたらいいのにな」とも思ったんです。ただ当時はドラマとして実現するには難しさもある気がして。でもマンガという形なら、自分でも挑戦できるかもしれないと思いました。
――マンガで描く意味がより見えていったと。
多田:これはあくまで想像ですけど、ドラマってマンガ以上に本当にたくさんの人が関わるじゃないですか。だから、ひとりの意思だけではなかなか動かせない部分も大きいのかなと思っていて……。もちろん、商業マンガとして描く以上、連載が通るかとか、売れなきゃいけないとか、そういうハードルはマンガにもあります。でも、マンガは基本的にひとりで描ける。商業で発表するのが理想ではあるんですけど、もし難しかったとしても、個人で形にすることはできる。そういう意味では、マンガは自分にとって挑戦しやすい媒体だったんです。
――そうして誕生した『SとX ~セラピスト霜鳥壱人の告白~』ですが、連載当時を振り返ってみていかがですか? 作品を描くうえで、意識されていたことなどもあれば教えてください。
多田:絶対に全員がこういう選択をするべきだとか、悩みに対して「これが正解です」と押しつけるような描き方にはならないよう気をつけていました。というのも、性の悩みって簡単に答えが出るものばかりではなくて、その人自身で向き合っていくしかない部分も大きいと思っていたので。「こうすれば解決する」と言い切るような形にはしたくなかったんです。
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――本作では、中高年のセックスレスといったテーマにも踏み込んでいて、今振り返ると「イブニング」の読者層とも重なるエピソードも多かったように思います。
多田:やっぱりセックスって、“若い人のもの”みたいなイメージがあると思うんです。あるいは不倫とか、少し後ろ暗いものとして語られがちといいますか。でも実際には、中高年のセックスレスってすごく多い。ただ、悩んでいても人に話しづらいテーマでもあると……。そういう現状があることを文献を通して知りました。
年齢とともに体は変化していくのに、「もう歳なんだから」で片づけられてしまう空気がある。でもそれって心身の健康を軽視してしまうことでもあると思ったんです。今振り返ると「セックスってこういうものだよね」という社会通念と、実際は全然違うのだという、そういったズレをしっかり描けたエピソードだったのかなと思います。


――そして2026年1月からは、続編となる『SとX セラピスト霜鳥壱人の診察室』がスタートしました。続編はどのような経緯で生まれたのでしょうか。
多田:実は、最初は続編を描くつもりは全然なかったんです。その当時はまったく別の新連載に向けてネームを作っていたので……。ただ、ドラマ化が決まって、脚本を読ませていただく機会があって、そこで改めて自分の過去の作品と向き合い直すことになりました。そうしたら、『SとX ~セラピスト霜鳥壱人の告白~』の続きをまた描きたい、という気持ちがすごく強くなっていったんです。
――脚本を読まれたことで、作品の見え方にも変化があったのでしょうか。
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多田:やっぱり脚本を通して『SとX ~セラピスト霜鳥壱人の告白~』という作品の可能性を改めて実感できたことが、すごく大きかったと思います。自分以外の方がこの作品をものすごく膨らませてくださっていて。それこそ原作にはないアプローチや、「こんな広げ方があったのか!」と驚かされる部分もたくさんあったんです。それと同時に「この題材ってまだまだ描けることがあるんじゃないか」と強く感じました。
――ご自身の作品を、改めて別の角度から見つめ直す機会にもなったんですね。
多田:それで担当編集さんに「続編をやってもいいですか?」と相談したんです。ただ、やるなら当然、単なる続きではなく新連載としてちゃんと成立するものにしなければいけない、という話になって。そこを目指して形にしていきました。
……やっぱり、当時描ききれなかったことがたくさんあったんですよね。それに『SとX ~セラピスト霜鳥壱人の告白~』を連載していた頃と比べても、社会の空気はかなり変わったなと感じていて。当時はまだ、性の話題そのものがどこかセンセーショナルなものとして受け取られる空気も強かった気がするんです。でも今なら、“性の話”としてだけではなく、“社会の問題”として受け取ってもらえるタイミングなんじゃないかと思えた。だからいっそう「今やるしかない」といいう感覚でした。
――なるほど。続編が始動するまでに『君は武道館に立てない』『真逆な2人はどうにもデキない。』の連載を経験されていますが、その2作品を経たからこそ、「今なら描ける」という手応えもあったのでしょうか。
多田:ありますね。実は『SとX ~セラピスト霜鳥壱人の告白~』の連載が終了した時に、自分の描きたいテーマを届け続けるためにはもっと多くの人に作品を読んでもらうことも大事なんだと改めて感じたんです。
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それで、自分がこれまであえて選んでこなかったジャンルにも挑戦してみようと思って描いたのが『君は武道館に立てない』(コアミックス)でした。そちらは自分の知らない世界の話を聞いて、勉強しながら形にしていったという作品で。自分がこれまで触れてこなかった文化を理解しようとするところから始まったんです。マンガとしてのテンポ感や表現みたいな部分は、この作品でかなり学ばせてもらいましたね。
一方で『真逆な2人はどうにもデキない。』(双葉社)は、性の話をもっとキャラクター個人の感情や関係性に落とし込んで描いてみたいと思って始めた作品でした。今思えば『SとX ~セラピスト霜鳥壱人の告白~』への未練があったのかもしれません。
――続編として連載が始まったことで、アプローチや描き方の面で前作から変化した部分はありますか?
多田:やっぱり変わりましたね。続編は、先ほどお話しした日本性科学会さんに取材協力や監修をしていただいていて。また「ネット被害」の回では、子どもの性被害防止に取り組む民間団体「ひいらぎネット」の代表・永守すみれさんにも取材させていただいたんです。
――1〜4話にわたって描かれていた「ネット被害」のエピソードは大きな反響を呼びました。読んでいて、ここまで巧妙化しているのかと驚かされた読者も多かったと思います。
多田:そうなんですよ。現代のネット被害の実態や、子どもたちがどういう被害に遭っているのか、AIの登場でどんな被害が増えているのか……。そういうお話をたくさん伺って、私自身本当に知らないことだらけでした。
親や大人がすべてを把握するのは難しい時代で、その一方で加害側もあらゆる形で子どもたちを取り込もうとしている。こちら側が手口や情報を更新し続けない限り、誰もが被害に巻き込まれ得るんだという怖さを、取材を通してすごく感じたんです。もう「見せないようにする」「触れさせないようにする」だけでは防げない時代なんだな、と。
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――取材を通して、被害の実態がより具体的に見えてきたと。
多田:実際に取材できたことで、ネット被害の実態をよりリアリティのある形で描けたのは本当に大きかったですね。
あとは、前作を描いていた頃と、続編を描いている今の自分とでは、性というテーマへの向き合い方自体も少し変わったと思っています。私はもともと性に対して強い思いがあるからこそ、この題材を選んだ。だから当時は「もっとみんな真面目に捉えるべきだ!」と、ある種の憤りを抱えながら描いていた部分も大きかったんです。
――強い思いがあるからこそ、描いているうちに加害者側のキャラクターへの怒りも強くなっていきそうです。
多田:作中で扱っている事件ひとつ取っても、加害者側に「なんでそんなことをするんだろう」って強く感じますし、正直なところ感情的になることもありました。もちろん怒ること自体は大事なんですけど、その感情に引っ張られ続けると、自分自身が描き続けられなくなってしまうとも感じるようになって……。性加害のシーンを描くこと自体、怒りだけで向き合おうとすると本当に苦しくなってしまうんですよね。
――怒りだけでは、描き続けられないと。
多田:それこそ『SとX ~セラピスト霜鳥壱人の告白~』で盗撮のエピソードを描こうとした時、最初はなかなか筆が進まなかったんです。でも当時の担当編集さんに、「社会問題として確実に存在しているものだから、扱ったほうがいい」と後押しされて。それで、覚悟を決めて調べ始めました。その経験を通して感じたのは、まず目を背けずに知ることの大切さでした。その上で、怒りだけにとらわれるのではなく、“向き合い続ける姿勢”でいないと、こういう問題を描き続けることはできないんだろうなと思ったんです。
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――向き合い続けるという姿勢は、まさに霜鳥先生そのものですね。特に「ネット被害」のラストで犯人に投げかける言葉を思い出しました。
多田:そういった思いもあって、主人公である霜鳥は、自分の感情を相手に支配されないような人物像にしたんです。もちろん彼も感情的になることはあるんですけど、怒りだけでは自分自身も救われないし、相手を変えることもできない……。結局人が分かり合うためには、対話を諦めないことが必要なんじゃないかと思うんです。だから「ネット被害」のエピソードもああいうラストになりました。
――今年2026年は、主人公・霜鳥壱人役に中島健人さんを迎えたNetflixシリーズ『SとX』の世界配信も控えています。映像化されることで、“性”というテーマの届き方にも、また新しい広がりが生まれるのではないかと思うのですが、その点についてはどのように感じていますか?
多田:映像化されることの影響は本当に大きいと思います。しかも今回は全世界配信なので、普段あまりマンガを読まない方にも、この作品に触れてもらえるきっかけになるんじゃないかなと期待しています。“刺激的なもの”としてではなく、“性について考える作品”になっていると思うので、そういうふうに受け取ってもらえたら嬉しいですね。
ドラマって実際に俳優さんたちが生身で演じるので、マンガとはまた違ったリアリティが生まれると思うんです。より共感できたり「これは現実にも起こり得ることなんだ」と、自分事のように感じてもらえたりする部分もあるんじゃないかなと。そういう意味でも、映像化によってこのテーマがどう届いていくのか、すごく楽しみにしています。
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――Netflixシリーズの世界配信も控え、単行本第1巻も絶賛発売中ですが、最後に、今後作家としてどんなことを描き続けていきたいと考えていますか?
多田:私はずっと、“社会”と“個人”って強くつながっているものだと思っているんです。個人的な悩みや感情に見えるとしても、実は社会の空気や価値観と地続きになっている。今回の“性”というテーマも、まさにそうだと思っていて。だから今後も、社会問題と個人の感情がつながっていることを意識できるような作品を描いていきたいと思っています。
あと、人間の複雑さみたいなものにも、ずっと興味があるんです。人って、言葉で言っていることと本心が違ったり……たとえば、その瞬間は「大好きだ」と思っていても、次の瞬間には気持ちが変わっていたりするじゃないですか。だから私は、人間ってすごく“一貫性のない存在”だと思っていて。そういう矛盾や揺らぎも含めて描きたいんです。
――人間のキレイな部分だけではなく。
多田:はい。でも、そういう信用ならない不完全さがある一方で、「どういう人間でいたいか」は、自分で選び続けられるものだとも思っていて……。だからこそ、弱さや矛盾を抱えながらも「それでも“いい人間”でいたい」と願っている人物を描きたいです。
“いい人間”っていうのは――すごく曖昧なんですけど、たとえば自分にとって嫌だと思うことや恥ずかしい行動をしない人、という感覚に近いのかもしれません。それって自分が社会のなかで生きていくうえでもすごく大事なことだと思うんです。もちろん、いい人間でいるなんて簡単なことじゃない。でもそうあろうとする人を描くことで、読んだ人にも少しだけ「自分も“いい人間”でいたい」と感じてもらえたら嬉しいです。
取材・文=ちゃんめい
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