
芸能界屈指の“仏教マニア”として、仏教にまつわる数々の本を執筆してきた笑い飯 哲夫さん。小説家としての顔も持ち、これまでに官能小説『花びらに寄る性記』(ヨシモトブックス)、青春小説『銀色の青』(サンマーク出版)を刊行している。そんな哲夫さんの10冊目となる書籍が『頭を木魚に』(主婦の友社)。仏教の哲学を下敷きに、生きづらさを抱えるタクシー運転手の運命を描いたこれまでの集大成というべき小説だ。本作が生まれた経緯、生きづらさを解消するヒントについて、話をうかがった。
苦しみを乗り越え、生きたくなる小説を書けたら
──このたび刊行された小説『頭を木魚に』は、どのような経緯で生まれたのでしょうか。
笑い飯 哲夫さん(以下、哲夫):主婦の友社さんから「死の苦しみを乗り越えるような小説を書きませんか?」とご依頼をいただきました。僕はこれまで仏教の本も何冊か書いていますが、仏教においても苦しみは大きなテーマです。それと同時に、僕は自殺者をゼロにしたいと思ってまして。死の苦しみを乗り越えすぎて、自殺者が増えるのは嫌じゃないですか(笑)。なので、苦しみを乗り越えられて、それでいて生きたくなる本を書けたらと思って、この小説を書きました。
──主人公のタクシー運転手・長谷部は、仕事でどんどん追い詰められ、袋小路に入り込んでいきます。哲夫さんは、この人物をどのように形づくっていったのでしょうか。
哲夫:仕事でタクシーに乗る時、アクセルを踏んだり離したりする運転手さんがいるんですよ。あの運転がめっちゃ嫌いで、「なんでこの人、アクセルを一定で踏めないんだろう」と思うんですけど。でも、本人に「その運転、気持ち悪くなるのでやめてもらっていいですか?」とは言いにくくて。向こうもプロでやってはるし、注文つけにくい。唯一言えたのが、妻が出産で病院に向かってる時でした。
続きを読む
──この小説にも同じシーンがありますね。
哲夫:そうなんです。その1回だけですね、言えたんは。もし言ってしまうと、その後、破滅に追い込まれそうな気がするんですよね。で、この小説ではそのまま破滅に追い込んでいきました。
こういう変な運転する人物の内面を精査していくと、おそらく制限速度を守るためにやっとんなというのがわかってくる。そうやって想像を膨らませながら、創作していきました。三島由紀夫の『金閣寺』も、放火した少年の内面を勝手に想像して描いているやないですか。それをちょっとパクってますね。
──長谷部は頭の中でぐるぐる考えすぎてしまうところがあり、その結果、良くない方向に進んでいきます。やはり、考えすぎることが生きづらさにつながっているのでしょうか。
哲夫:僕は、考えすぎてあかんようになる話が好きなんです。ただ、実際問題、考えすぎるから、うまくコミュニケーションを取れなくなるというのはあると思ってて。ご飯もそうじゃないですか。「あの店、おいしいで」って聞いて行くぐらいがちょうどいい。食のことを全部知りたいと思って、食材の調達先とか厨房の清潔さを調べ出すと味がわからなくなってしまうじゃないですか。考えすぎも同じことやないかなと思いますね。

肉ばなれになった瞬間、「諸行無常やな」と……
──作中では、長谷部を通して生きづらさから脱するにはどうすればいいか語られていきます。その根底には「諸行無常」「諸法無我」など、仏教の考え方があるようですね。
哲夫:そうですね。仏教的なテイストはだいぶ入れました。なんせ苦しみを乗り越えるための哲学が仏教なんで。「ここにヒントがありますよ」っていう仏教紹介本でもあるんです。
続きを読む
──やはり、仏教の考え方を身につけると生きるのがラクになるのでしょうか。
哲夫:それはあると思います。僕も「諸行無常」はいつも思ってますので。
──とはいえ、なかなかその境地に達するのは難しいですよね。哲夫さんは、イライラしたり心がざわついたりした時にどうやって気持ちを収めていますか?
哲夫:例えば、偉そうに言ってくる車掌さんがいれば、「こっちは金払ってんのに、なんでそんな偉そうやねん」ってイラっとしますよね。ですけど、今が怒りの最高潮で、ここから冷めていくだけ。「どうせ明日は会わへんしな」と思えば、イライラしてる時間がもったいなく感じますよね。どうせ消えていくものですから、執着しない。「執着すな」っていうのも、仏教の教えです。
──哲夫さんは、もう執着は捨てられましたか?
哲夫:いや、煩悩だらけです。でも「それも諸行無常やしな」と思ってます。
ゴールデンウィーク前に、子どもとサッカーしていたら肉ばなれになったんですよ。プチッといった瞬間、「うわ、やってもうた!」と思いましたが、同時に「諸行無常やし」とも思ったんです。
──え、すごい……!
哲夫:プチッといった瞬間、ふたつ同時に来ましたね。「これ、けっこうな怪我や」と「諸行無常やし」。で、「諸行無常やな」って思ってたらやっぱり治りも早くなりましたね。
アキレス腱やったらやばいなと思ったから、病院に行ったら「肉ばなれです。治るまで2週間ちょっとかかります」と言われて。次の日はロケやったし、連休中も漫才の出番もろてますから、まずいなと。漫才はセンターマイクまで歩きゃ、そこからはじっとしてるから特に支障はないんですけど。ただ、そこまで歩いていかなあかんから、お客さんにバレてしまう。とりあえずテーピングでガチガチにして、怪我してないほうの足を使う時もちょっと変な歩き方して、両足とも変な歩き方のヤツみたいな感じにしてごまかしたんですけど。でもね、2週間経ったらほんまに治ったんですよ。「諸行無常や」と思ってたら、痛みも少し治まる気がするんですよね。
続きを読む
──「諸行無常」と思えば、落ち込むこともなくなるのでしょうか。
哲夫:そうですね。空海さんの言葉に「無駄なことなんてひとつもない」というのがあるんです。諸行無常で世の中の物事はひとつひとつ消えていくけど、自分にとっては肥料になる。肉ばなれも無駄じゃなかったですね。「脳みそはまだ若いままでいるかもわからないけど、体はもう50過ぎてんで」と叩き込まれましたから。

国語のテストで出題されても正解がわかるような書き方に
──『頭を木魚に』には、長谷部だけでなく彼の息子も視点人物として登場します。長谷部と息子の物語が交互に展開していくのも、面白い趣向でした。こうした構成にした理由をお聞かせください。
哲夫:佐藤多佳子さんの『サマータイム』(新潮社)という小説が好きなんです。少年少女の淡い夏の思い出が書かれているんですけど、最初の章では脇役だった子が、次の章では主人公になってその子の背景や考えが語られていく。その目線をずらす手法をパクりました。
──目線をずらすとどういう効果があるのでしょうか。
哲夫:「天上天下唯我独尊」になるんです。この言葉には、「たったひとり、俺がすごいねん」という解釈と「みんなそれぞれすごいんだ」という解釈があるんですけど。結局、みんな自分が主人公やと思ってるけど、そうじゃないんですよね。主人公ひとりだけに光が当たると、なんか腹立ってくるでしょ? 「他の人も頑張っとんねん」となるじゃないですか。そこでふたつの視点を入れると、みんなが主人公であり、みんなが脇役であると表現できる。そんな効果があるんやないかなと思います。
続きを読む
──長谷部の息子は、父のルーツを求めて岐阜県山県市を訪れます。この地に残る、明智光秀の伝承も作中で語られています。
哲夫:明智光秀の話も好きなんですよ。「実は山崎の戦いで死んでなかった」という伝説がいくつかあって。そのうちのひとつを書きました。これは歴史学の先生から教えてもらった話なんですけども、山県市で荒深小五郎と名乗って暮らしていたという伝承があるんですね。「明智光秀と荒深小五郎、ふたりの名前を合わせると何になりますか?」と先生に聞かれて、「うわっ、明智小五郎じゃないですか」となって。先生は「きっと江戸川乱歩は、この伝承を知っていたんでしょうね」と言ってはったので、そのエピソードをパクりました。すぐパクるんでね。
──哲夫さんは歴史もお好きだそうですが、どのようなきっかけで興味を持つようになったのでしょうか。
哲夫:日本の中心地だったところ(奈良県)で生まれ育ったので、小さい頃から東京に中心を持って行かれて悔しいなと思ってたんですよね。子どもの頃から日本の歴史を描いた学習マンガを面白がって読んでいたので、それが自分の礎になってます。
──奈良の方は、京都の方以上に「日本の歴史をつくった」という矜持をお持ちですよね。
哲夫:京都より古い都ですからね。それでいて忘れられています。京都は新幹線が通ってるけど奈良は通ってない。宿泊施設も京都ほど多くない。地図を見ると、政令指定都市の所在地は赤く塗られてるんですよ。でも、政令指定都市じゃないところは白。大阪市も京都市もピッと赤いけど、奈良市は白い。「いや、うちのほうが都、古いんだけどなぁ」っていう悔しさは子どもの頃からありましたね。奈良の面白さを伝えたいって気持ちはあります。
続きを読む
──今回は岐阜でしたが。
哲夫:そうなんです、関係ないんですよ(笑)。すごい失礼なことしてますね。よその市町村を勝手にピックアップして。しかも行ったことないんですよ。はよ行かなあかんなあ思って。
──てっきり取材にいらしたのかと思っていました。それくらい風景描写が真に迫っていましたし、長谷部の息子の心理描写ともリンクしています。
哲夫:国語のテストで、よく「筆者はどのような意図でこの一文を書いたのか」という問題がありますよね。僕も子どもの頃に出されて、「主人公の心理状態がこうなので、風景がこう見えた」というのが正解やったのを覚えてて。だから風景描写と心理描写を重ねて書くというやり方は、国語のテストで仕込まれました。
僕が小説を書く時も、国語のテストに出たらちゃんと100点取れるような文章にせなあかんなと思ってますね。文章に線が引かれて「線①で、筆者はなぜこのような風景を書いたのでしょうか」という問題にされたとしても、何行かさかのぼると「ここでこういうことがあって、今落ち込んでいるからやな」とわかるようにしてます。センター試験で出題される時みたいに、1から5までの選択肢も考えてますよ。
──不正解の選択肢も考えているんですか?
哲夫:そうですね。不正解の答えも一応考えて、受験生が正解を選べるように手がかりを本文の中にちりばめておきたいなと思ってます。
──すごく緻密な作業をされていますね。
哲夫:クセですかね。センター試験の国語は満点に近い点を取れていたんですよ。だから、小説を書くとセンター試験の雰囲気が出てきますね。最後のオチもいろいろな選択肢が浮かびましたね。なぜこうなったのか、1から5の選択肢を用意して。大体、最後のふたつまで絞って悩むじゃないですか。「これのような気がするけど、ちょっとちゃうねんな」って。そういうのを思い浮かべましたね。
続きを読む
──「どう受け取ってもらってもかまわない。正解はないので、自由に解釈してほしい」という作家さんも多いですが、哲夫さんは明確に答えがあるんですね。
哲夫:そうは言っても、1から5までの選択肢、全部正解なんですよ。一応、こっちとしては正解らしきものを用意してますけど、どう解釈してもらってもかまいません。

考えすぎてもいいことはない。もっと大体でいい
──作中には、笑いの要素も盛り込まれています。「巻き寿司田かんぴょう抜き太郎」という人物が唐突に現れるシーンでは、思わず笑ってしまいました。笑いを入れることにはどのような意図があったのでしょうか。
哲夫:観光地で、勝手になんか説明してる歴史好きのおじさんっていますよね。僕も小学6年生の頃、家族旅行で石川県に行った時、バス停におったら自転車の後ろに車のナンバープレートみたいのを貼り付けたおじさんがいて。どう見ても職員じゃないけど、バス会社の制服みたいなのを着て「どこ行きますか」って言うんです。行き先を伝えると、「何時何分に◯◯行きがあります」って答えてくれるんですけど、子ども心に「絶対に正式な仕事じゃないな」と思ったんですよ(笑)。
西加奈子さんの『通天閣』(筑摩書房)にも、似たような人が出てくるんです。タクシー乗り場にタクシーの列があって、前の車にお客さんが乗ったら詰めていく。たまに携帯でもいじってるのか、前に詰めないタクシー運転手がおったら、車の窓をコンコン叩いて「前に行けるよ」って伝えることを仕事風にしてるおっさんがおる。それ、めっちゃ面白かったんですよ。僕、西さんと飲み友達やったんで、その話をして。僕も石川県でエセのバスの案内人に会うたんで、そういう人を出してみました。
続きを読む
そういう人の名前って、多分ちょっとふざけてますよね。子どもにウケようとしてるけど、なんや間違ってる。子どもは巻き寿司とかかんぴょうなんてもう知らんのに、そっちに行ってしまって大失敗してる名前っていうんですかね。子どもにはウケたい人なんです。ただ、誰かから依頼されてるわけでもなく、自分で勝手にやってる雰囲気を出したかったんですよね。
それに、ずっと硬い文章を読んでてもしんどいと思うので、電車の中でひとりで読んでる時に「勘弁してくれよ」ってくらいクスクスできるようなとこは入れたくて。すみませんけど、この人にはそういう役割になってもらいました。
──哲夫さんは、普段しゃべりで笑いを生み出しています。やはり語りと文章では、笑いの表現方法も違うのでしょうか。
哲夫:そうですね。この文章をそのまま読んでも笑いにならないと思います。小説では、いかに情景を浮かばせるかが大事で。
例えば、この文章も情景を想像すると面白いと思うんです。長谷部の息子が歴史についていろいろ質問するんですけど、巻き寿司田かんぴょう抜き太郎は何も答えられないんですね。その時の様子が「巻き寿司田かんぴょう抜き太郎さんは目を三輪車のカゴのほうに向けて、不思議な力で雑誌の中を透視しているようだったけれど、しばらくしてからこちらに振り返った顔は、なにも思い出せない人の顔をしていた」。その雰囲気を思い浮かべて、笑ってほしいなと思ってます。
──全体を通して、哲夫さんが気に入っているシーンやセリフはありますか?
哲夫:最初のほうにある「驚くほどガニ股の店主が気だるく水をテーブルに置いた」ですかねぇ。僕ら世代なんかな、中学校ぐらいになったらちょっと自分を悪く見せたいから、それまでやや内股やったヤツもわざわざ外股にするんですよ。それが癖づいて、驚くほど股開いてるヤツおったよなって。この店主も、その癖がずっと取れてないんです。所作も雑なんですよね。そういうヤツを書くのが面白かったですね。
続きを読む
──逆に苦労したところはありますか?
哲夫:実は、68,000字書いた時点で1回データ全部消えてしもたんですよ。それは「やってもうた!」と思いましたね。わずかな居眠りで変なとこ押しちゃったので、自分の横着が悪いんですけど。
──68,000字って相当な量ですよね。400字詰めの原稿用紙で170枚分ですが……。
哲夫:この小説の3分の2か4分の3ぐらいなくなりましたからね。思い出しながらもう1回書いたんで、それもまた「無駄なことはひとつもない」という貴重な経験をさせてもらいました。ただ、主婦の友社さんには迷惑かけて申し訳なかったですけどね。半年くらいで書けたはずが、トータルで1年くらいかかってしまったので。
──その時も「諸行無常」だと思いましたか?
哲夫:頭によぎりましたけど、「やかましいわ」って思いましたね(笑)。そんなことより、原稿が元に戻ってくれんかなと。
──哲夫さんは、これまでにも2冊の小説を執筆しています。最初の小説『花びらに寄る性記』が刊行されたのは2011年ですが、当時と今で小説の書き方、執筆に対する思いに変化はありますか?
哲夫:完全に自分で創作した小説は3冊目ですけど、『ブッダの一生』(ワニブックス)も物語なんですよね。それを入れると4冊目なんですけど。
変化はどうかな……。1作目の『花びらに寄る性記』は、『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス/早川書房)をパクってて。1章はすごい簡単な言葉で書いて、2章はやや難しく、3章はめっちゃ難しい言葉で書いて、4章はまた簡単な言葉で書いたんです。とにかくいろんな文体を入れた小説でした。
続きを読む
2作目の『銀色の青』は、ちょっとだけ純文学風にカッコつけたところがあって。そう考えると、今回はカッコつけずに書きましたね。なんでやろ、読みやすくしたかったんですかね。
──執筆のきっかけとなった「みんながもっと生きたくなるような小説を」という目的は達成されましたか?
哲夫:そうですね。お坊さんから教えてもらったええ話と、自分の経験をミックスして、ひとつの生き方を提案できたんじゃないかなと思ってます。
──作中では、一瞬の思い付きで命を絶つほどの行動をするのはもったいないとも書かれていました。中でも、「もっと大体でいい」という言葉が印象に残っています。
哲夫:そう、大体でいいと思うんですよ。考えすぎず、大体でいい。そうすれば、ちょっとは気持ちが軽くなるんじゃないかと思います。
取材・文=野本由起、撮影=後藤利江、ヘアメイク:鎌田亜利紗(アートメイク・トキ)

記事一覧に戻る