
舞台上でスポットライトを浴びるスター、誰かにとっての特別な一日を支える案内係や売店スタッフ、客席から見えない裏側で上演を支えるエレベーター係や幕内係、そして観客……。『劇場という名の星座』(小川洋子/集英社)は昨年、惜しまれつつ一時休館した帝国劇場を舞台に紡がれた短編集。執筆にあたり、著者の小川洋子さんは、俳優や劇場スタッフ、関係者への取材を重ねた。デビュー作であるミュージカル「エリザベート」を皮切りに、「モーツァルト!」「ミス・サイゴン」など、数多く帝国劇場の舞台に立ってきた井上芳雄さんもそのなかのひとり。劇場の記憶を未来へと繋ぐ、世界でたった一つの“帝国劇場”小説の刊行を記念し、在りし日の帝劇の思い出が、星座をつくるように二人の間で語られていった。
――会場の灯りが落ち、響いてきたのは、『劇場という名の星座』の一編「ホタルさんへの手紙」の冒頭場面。小川洋子さんと井上芳雄さんによる朗読が奏でていったのは、“一歩足を踏み入れた途端、肉体が吸い取られ、意識だけがぽつんと取り残されたかのような錯覚に陥る”――その暗闇に押しつぶされるのではと怖れを抱く若い俳優の心象風景だった。
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小川洋子さん(以下、小川) 井上さんからは貴重なお話を数々伺い、小説を書くうえで、根本を支えるお言葉もいただきました。取材のときには、「帝劇の暗闇が怖かった」とおっしゃっていましたね。

井上芳雄さん(以下、井上) 今、朗読させていただいた場面、あれは僕が言ったことなのではないかと思いながら読んでいました。
小川 まさにそうなんです。劇場のなかでも、特に帝劇は暗いそうですね。それは観客から見ているとわからないことで。井上さんのお言葉から、初めて大きなミュージカルに抜擢された若い俳優さんが、帝劇の舞台に立たれたとき、どんな気持ちだったのか想像を巡らせながら『劇場という名の星座』の1行目を書きました。帝国劇場には、作中にも書いたように、いろいろなお仕事をされる方がいらして。それこそパンフレットには名前が載らない方がプロとして、良い舞台を作りたいという、たった一つの目的のために働いていらっしゃる。私、黙々と仕事をしている方が大好きなんです。
井上 先生のその愛情が、本作には溢れていますね。
小川 取材をさせていただくと、さらっとおっしゃった皆さんのお言葉が、作家の立場からすると、宝物のように感じられて。うちに帰って、頂戴したお言葉や思いを星座のようにつなぎ合わせて本作を書きました。
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《星座》の中に収まりきらないお仕事もありました。周りを飛び交う箒星みたいな(小川)

小川 取材では最初に、「ホタルさんへの手紙」でも著した、「ホタルさん」と呼ばれている、小さなペンライトで観客の方を案内する係の方のお話を伺いました。何かお困りがありましたら私に何でも訊いてください、でも必要がなければ気配は消しておきます、という、気配を出し入れするプロなんですよね。楽屋係さんには「お掃除はどういうふうに?」とお訊ねしたのですが、「楽屋の掃除とは、前に使っていた俳優さんの気配を消すことです」とおっしゃって。素晴らしいお言葉をいただいたなと思いました。
井上 時々、そうではないこともあるんです。僕が入った楽屋には、その前の舞台で、堂本光一くんが使った血糊が残っていたんです。洗面所で殺人事件起きたかなというくらい(笑)。でもそれは〈あえて〉かなと思いました。光一くんと僕が親しいことを知っていてくださって、残してくださったんじゃないかと。先生がおっしゃったように、愛情というか、上演中の舞台、これから幕の上がる舞台がうまくいきますように、という思いだけで皆さん動いていらっしゃるので。
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小川 さまざまなお仕事の方にお会いしたのですが、取材をさせていただいたのに、私の技量では小説に収まらないと思ったのはプロデューサーさんでした。
井上 意外ですね。一番ドラマチックで、小説の種になる話をいっぱい持ってそうですけれど。
小川 《星座》の中には収まりきらないお仕事だと感じたんです。星座の周りを飛び交う箒星みたいな、他の仕事とは違う輝きを持ったものだなと。そしてその取材でも、素晴らしいお言葉をいただいたんです。プロデューサーの仕事は、「ズボンの裾が擦り切れる仕事です」と。それだけあちこちを走り回っているんですね。そしていろんな現場で、棘が出てくるわけですよね。それをヤスリで丸く収めていくのが仕事ですと。「最悪を予想して最善を尽くす」ともおっしゃっていました。悲観主義者であり、楽観主義者でもあるとも。その両方を持ち合わせ、自分の望むところへ行こうとしない、ここへ行ってくれたら楽だけど、というところへ舞台が行ってしまうと、こぢんまりしてしまうと思われているのでしょうね。井上さんにお話をうかがって、その次の取材がプロデューサーの岡本義次さんだったでしょう。すれ違ったときのお二人の雰囲気が爽やかで。すごく親しい、けれど仕事上の上司と部下とも、そして単なる友達とも違う、他では味わうことのできない空気感でしたね。

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井上 先輩後輩ではあるのですが、自分でもその関係は何かにたとえられませんね。強いて言えば家族、親しい親戚でしょうか。
小川 親愛の情に溢れていて。岡本さんが「おぉ、芳雄ぉ!」と声を掛けられて。その一言で、こういうふうにプロデューサーさんに愛される方がスターなんだなと思いました。
井上 育てていただいたし、デビューしてからは一緒に歩いてもらっています。苦労も喜びも一緒に味わってきた感じがします。
小川 劇場はそういう関係に溢れていますよね。
井上 本当は自分の良いところだけを見せたいんですけれども、長くやっていると、苦しいところもたくさん見せてしまう。それもすべて分かち合ってきたというところが、劇場の中の人と人の関係にはあるかもしれません。
小川 『井上芳雄 25th ANNIVERSARY BOOK』を読ませていただくと、「僕が」を主語にしてはいけないと。お芝居は相手があってこそ。演出家がいて、スタッフがいて、いろんな人に支えられたうえでということを常に意識してないといけないと、井上さんはおっしゃっていて。そこには観客の方の力もありますよね。
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井上 舞台に上がったら、お客さまの力をいただけるだろうなと思っているんですけど、いつも想像がつかないんです。どんな力を貰えて、自分がどう変わるのか、その作品がどうなるか、幕が開くまではわからない。そこがまた演劇の良さというか。そしていつも想像を超えた力をお客さまはたくさんくださるんです。
作家と俳優、役割は違うけれど、同じようなところに到達できる仕事なのかなと(井上)

――トークショーの半ばには、井上芳雄さんの朗読が。友人に誘われて観劇したミュージカルで《プリンス》と出会った薬剤師の女が楽しみにしているのは、彼が初めて主役として帝劇の舞台に立った『モーツァルト!』。その日は12年にわたり、5回つとめたモーツァルト役をプリンスが卒業する日だった。チケットは取れなかったけど、舞台の近くにいたくて夜行バスに乗り、帝劇までやって来た少女、偶然、そのチケットを手にした男。3人の観客側の視点からその日が描かれる「一枚の未来を手にする」を読む、井上さんの声が客席の隅々まで渡っていった。
井上 自分は出る側なので、観に来てくださるお客さまの心を想像するには限界があるんです。今、朗読をし、その心が、生々しさも伴った言葉として、自分の中に伝わってきました。文学にすることは凄いことなんだと思いました。物語の中の人のことが、自分のこととして感じられるというのは凄まじいことだなと。そしてここで描かれた人々のような思いで、自分の舞台を見に来てくださっている方がいらっしゃるのなら、僕は本当に凄い仕事をさせていただいているんだなと思いました。
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小川 井上さんの素晴らしいところは、ミュージカル界全体のことも考える立場になられていることですよね。トニー賞の番組もされていて。
井上 すべて劇場のために、と言ったら、格好良すぎますけど、バラエティ番組への出演も、演劇のためにやっています。テレビで僕を見てくださった方が皆さん、劇場に来てくださるわけではないと思うのですが、そうして種を蒔き続け、いつか芽が出たら嬉しいなと。劇場は素晴らしい場所ですが、同時に閉じているというか。その中は一種のユートピアなんです。居心地はいいけれど、その中だけにいると、なかなか他の人との交流は生まれない。自分から出向き、こういうことをやっています、こんな素敵なところがありますよ、というのは、どんどんお伝えしていきたいと思っています。
『劇場という名の星座』で、帝劇を知る方もたくさんいらっしゃるでしょうね。作中に書かれている帝国劇場は、もう見ることも、入ることもできないのですが、本からそれを窺い知ることができるのは嬉しいこと。先代の帝劇は、読んだ方々の記憶の中にも残っていく。小川さんは、帝劇についての作品を執筆することになったとき、どう思われたのですか?
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小川 荷が重いと思いました。実在の建物や場所、人物をモデルにして書いた経験があまりなかったこともありますし、帝国劇場は長い歴史がありますから。これだけ皆が深い愛情を注ぐ劇場を裏切ることがあってはいけないというプレッシャーの中で書き始めました。
依頼を受けたとき、「菊田一夫さん(先代の帝劇建設の立役者である劇作家)の精神を書き残してください」とも言われ、それもすごく荷が重かった。けれど小説を書き終わり、帝劇を支えているものとは、今日、井上さんと私が話したような一人ひとりの思いであり、それこそ菊田一夫さんが求めていたものだったのではないかと。舞台装置だけでなく、それを支えてきた人間の力が代々受け継がれ、帝劇はあれだけのものになったのだと思いました。

井上 先生は作家でいらっしゃるから文学からも感動を受けますよね。本を読む感動と舞台を見る感動は違うのでしょうか?
小川 全然違います。舞台は肉体的な感動なんです。汗が飛んでくるかのような、手を伸ばせば届くところで生身の人間が歌っている。けれど絶対に飛び越えてはならない境界がある。舞台を観てきたなかで、登場人物の体温が伝わってくるような小説を書かなければ、との思いが強くなってきました。
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そして井上さんと私は、全く違う種類のお仕事ですけれど、何かを生み出すという意味においてシンパシーを感じています。帝劇で取材させていただいたすべての皆さまからも。作家というのは、登場人物たちを神様のように動かしているわけではなく、書いていくうちにだんだん勝手に動き出してくるんです。「この人はここに行きたいんだな」と邪魔しないようについていき、観察しているようなところがあるんです。「皆、私についてきなさい」とすると失敗してしまう。ですから演劇を作ってる方々の、ある種の謙虚さというか、演劇の神様の前で跪くような姿勢を私は非常に尊敬しているんです。
井上 僕たちはゼロから何かを作る仕事ではないので、何もないところから物語を立ち上げる方には尊敬の念を抱いていますし、自分たちが演劇をするときも、その音楽、その言葉を創った人がどういう思いで創り出し、何を意図しているか、汲み取って表現したいと思っているので、今お話を伺い、作家さんでさえ、自分の思った通りにいかないというか、いかせない方がいい、というところはちょっと似ているなと思いました。全然違う役割だけれども、同じようなところに到達できる仕事なのかなと。
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小川 でも作家は拍手を貰えないんです。けれど今回、この本をお送りした、とある俳優さんから嬉しいメールをいただいたんです。「言葉の舞台に喝采を」という詩人の言葉のような素敵なメールを頂戴しまして。それも宝物です。

井上 小川先生にこの本を書いていただけたことが、帝劇にとってもとても幸せなことだなと改めて思いました。ただ記録として残すのではなく、それが一つの芸術、表現作品となり、こんなに素晴らしいものになるのだと。先代の帝劇は姿を消してしまいましたが、こういうふうに残ることは幸せなこと。帝劇に関わった僕たちが今思うのは、新しい帝劇ができるまでどうか忘れないでください、ということ。そして新しい帝劇がやってきたとき、「待ってました!」とたくさんの方から言っていただけるよう、僕たちも引き続き頑張っていきたいと思います。
取材・文=河村道子 撮影=佐野一樹
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