
2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの小説『クララとお日さま』(土屋政雄・訳/ハヤカワepi文庫)を原作とした同名映画が今年2026年10月に米国で公開される。
小説『クララとお日さま』はロボットを主人公としながらも、人間の心の動きを極めて繊細に描いたカズオ・イシグロの傑作小説である。
主人公のクララは、向上処置と呼ばれる遺伝子編集が行われた子どものために作られたAF(人工親友)と呼ばれるAIロボットである。AFのなかでも観察力と学習への意欲が高いクララは自身が展示されているお店のショーウィンドウ越しに、毎日のように街を行き交う人間たちの表情や仕草から細やかな機微を拾い、人間の感情を理解しようとしている。
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そんなクララはある日お店を訪れた少女のジョジーに気に入られ、彼女の人工親友として引き取られる。しかしジョジーは病気を患っており、母のクリシーも心に葛藤を抱え、隣人や交友のある人々ともどこかギクシャクしている。そうした人間たちの感情や行動をクララは観察し理解しようと努めながらジョジーを献身的に支えるのであった。
本書を深く読み進める上で、クララの一挙手一投足に注目して読んでほしいのが、ジョジーと出会う前にお店のショーウィンドウに立つクララを描いた第一部である。
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毎日ショーウィンドウから外の世界を観察するクララはある日、推定71歳の小柄な男性と推定67歳の女性が偶然横断歩道で邂逅する場面を目にすることになる。クララはその二人から幸せと同時に怒りのようなものを感じ取る。
クララが感じた思いについて、店長はいう。
引用----
“「ときどきね、クララ。いまみたいな特別な瞬間には、人は幸せと同時に痛みを感じるものなの。すべてを見逃さずにいてくれて嬉しいわ」”
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店長の言葉はこの物語の中で常に読者の心に居座り続けることになる。
読者は、こうしたクララが人間から感じ取った感情や考察、思いから、ジョジーや彼女の母の深い悲しみや後悔といった人間のもつ心や動揺を明瞭に感じ取っていく。と同時に、人間が生来持ち合わせているエゴや打算的な行動に対してもクララは嫌悪を示さず、努めて理解しようとする。決して人間の感情を否定しないクララを通じて読者は、身勝手で愚かで、そして深い愛に悩む人間の姿もまた心に深く刻み付けることになるのである。
この第一部には後半で語られていくクララの言葉の源が細やかにそこかしこにちりばめられているので、本作をより強く心に残すためにはぜひ注意深く読むことをオススメしたい。
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さて、『クララとお日さま』を映画はどのように描いているのかも楽しみである。現在の情報ではクララ役にホラー映画などで活躍するジェナ・オルテガを据え、ジョジーの母役にはエイミー・アダムスが名を連ねている。そんななかで注目は本作の監督を務めたタイカ・ワイティティである。彼は作家性に富んだケレン味あふれる作品が特徴の監督ではあるが、近年では監督・脚本を務めた『ジョジョ・ラビット』(2019)でアカデミー賞脚色賞を受賞している。この作品はヒトラー政権下のナチスドイツを舞台に、そこで暮らす母と息子の心の機微を硬軟織り交ぜながらもダイナミックに描いた傑作だ。そんな確かな実力をもつワイティティ監督が、静謐な世界の中で人々の感情を激しく揺れ動かす『クララとお日さま』をどのように映画で描いているのか、いまから楽しみである。
文=すずきたけし
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