
東京・新宿の定時制高校を舞台に、年齢も経歴もバラバラな生徒たちが科学の実験に挑む姿を描いた伊与原新さんの『宙わたる教室』。その続編『コズミック・ガール 宙わたる教室』(文藝春秋)がこのたび刊行される。東新宿高校定時制科学部の、学会での受賞やJAXAとの共同研究という快挙から6年後、消滅していた科学部が再び動き出すというストーリーだ。デビュー前には研究者として科学に向き合ってきた伊与原さんに、『コズミック・ガール』で描きたかったことや、作家として抱く科学への思いについても聞いた。

科学部のファンからの声援を受けて続編の構想をスタート
――続編の構想はいつ頃からあったのでしょうか?
伊与原新さん(以下、伊与原):『宙わたる教室』刊行後の早い段階で、担当編集の方と「科学部がこの先どうなっていくのかという話は書きたいですね」という話をしていました。というのも、『宙わたる教室』が皆さんに広く読んでいただけて、ドラマにもなって、科学部のファンが大勢いることを僕も感じ取っていて。そういう読者の方の声援や期待を受け取って、構想を始めました。
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でも実は、「続編はしんどいな」と思っていたんです(笑)。『宙わたる教室』では伝えたかったことも書けていたし、良い形で完結したと思っていて。また同じことを繰り返しても面白くないし、新しいテーマを探すのもハードルが高い。だから躊躇していたんですけど、科学部を応援してくれている人がこんなにいるのなら、科学部もその後もわかって、なおかつ新しい科学部が活動していくのがいいのではと思って、数年後に、消滅していた科学部を再生させるというお話に決めました。
――『コズミック・ガール』の科学部が挑む挑戦のテーマは、どう決めていったんですか?
伊与原:(『宙わたる教室』のモデルになった)大阪の定時制高校の科学部の夏合宿に参加していた淡路島の洲本高校の科学技術部が、糖燃料を使ったロケットを打ち上げる挑戦をしていて、面白い実験だなと、そこに着目しました。ただ、最初に僕が思ったのは、高校生たちがロケットを上げる話ってベタだなと(笑)。それでも、ロケットが実際に打ち上がっているさまって、すごく感動的なんですよね。だから次はロケットでやってみようと決めて、結果的にも、すごく良かったなと思っています。
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現在の定時制高校のリアルに即したキャラクター作り

――科学部のメンバー構成も、前作と意識的に変えていったのでしょうか。
伊与原:そうです。今回もいろいろな年齢の人たちを出して、前作以上に面白くするのは無理だと思ったし、実際の今の定時制高校に通うのは、ほとんどが現役の生徒さんらしいんですね。前作で、いろんな年代の生徒が一緒に学ぶ楽しさを伝えられたんですけど、今回あえてそれは捨てて、現状の定時制高校に合った生徒の構成とバックグラウンドを作ることにしました。でも最初は不安で、「やっぱりひとりぐらい年配の生徒を入れましょうか」とか、弱気になって(笑)。でも、行き場所を失った中高生たちがたどり着く場所という今の定時制高校のあり方なら、生徒たちの個性や抱えている事情を前作とはまた違った形で描けると思ったんです。
それに今、東京の定時制高校が減らされていて。文部科学省や東京都としては夜間定時制の役割は終わりつつあると考えているらしく、通信制や3部制のチャレンジスクールなどの制度を拡充する流れがあるんです。多様な生徒を受け入れる夜間定時制という場がつぶされていってしまう、その現状も今回、伝えたいと思いました。いろいろな制度を作るのはいいことですが、人と人とのふれあいの中で学べる可能性を濃密に残している学校を減らすことはないと思うんですよ。実際に夜間定時制の濃密な関係性の中で学校の良さを再認識する生徒たちがいっぱいいるのを見ていると、「このほうが自由で気楽に通えるでしょ」と仕組みだけ提供することに違和感を抱きます。もちろん、人間関係が苦手で通信制を選ぶ子がいたっていい。でも、集まって一緒の時間を過ごさないと成し遂げられないことや、味わえないことはあると思うんです。
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――学校は、ただ単に知識を得る場所というわけではないですよね。
伊与原:人とのふれあいの中で、いろいろな無駄とか試行錯誤とか失敗を体験することは、とりわけものづくりや研究の場においてはとても大事です。多くのトップ科学研究者も「共働」の大切さをよくおっしゃっていて、それは、異分野の人や違う考えの人との交流や雑談の中から何かが生まれることを経験しているからだと思います。この科学部も同じで、それぞれの特技を持つまったく違う性格の人たちが集まって共に実験をする中で何かが生まれる、そんな世界を書きたいと思いました。
――前作の科学部の面々の再登場も見どころですが、前作からの彼らの時間にどう向き合いましたか?
伊与原:前作の科学部のメンバーを出すと登場人物が増えるし、「大変やな」と思ったんですけど、読者の期待を考えると出さないわけにいかない感じもあって(笑)。今作は岳人たちのその後を描くことが主な目的ではないにせよ、東新宿高校定時制の科学部の再生に岳人たちは無関係ではないので。特に佐那は、岳人たちの発表に感動して東新宿高校に入ってきたこともあり、彼らがどこかで登場して助けてくれるということは最初から決めていました。関わり方や彼らのその後については、いろいろ悩みましたね。うまくいっている人もいれば、まだ挫折があったり、年齢を重ねる中でいろいろなことが起きているだろうとか、そういうふうに考えていきました。
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それに、『コズミック・ガール』では、科学部をゼロからまた作っていく過程を描きたかったんです。だから今回は藤竹先生のような存在を出さずに、前作で藤竹先生がやってきたことを、OBOGがちょっとずつ分担して科学部を支えるというストーリーにしようと思いました。
ワクワクは見事に打ち砕かれる。その先に見えるものを描きたい
――実験のシーンもとても面白いですが、実験の描写で気を付けてることはありますか?
伊与原:前作の重力可変装置に比べれば、今回のロケットは比較的、イメージしやすかったのかなと思います。仕組みをすべてイメージしてもらうのは難しくても「こうすれば火が点くんだ」と、ぼんやりわかってもらえたらいいなと思いながら書きました。科学的な描写については、僕の永遠の課題です(笑)。今回も変わらず苦労して、変わらず、どの程度伝わったのかはよくわかりません(笑)。でも、楽しそうにやってるということがわかれば十分という気もします。いろいろな工夫をこらす過程の面白さやプロセスこそが科学であり、ものづくりなんだと伝われば嬉しいですね。
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――科学の楽しさを伝える動機には、伊与原さん自身が経験してきた科学のワクワク感が原体験にあるのでしょうか?
伊与原:そうだと思います。ただ、科学って、最初は仮説やアイディアを思いついてワクワクしながら研究を始めても、大抵、うまくいかないんですよね。ワクワクは見事に打ち砕かれるんです。でも、途中でやめたくなったり、いろいろあるけど、それを乗り越えた先に何かがあるんですよね。それを1回味わうとなかなか離れられない、中毒になるようなところがあって(笑)。ワクワクだけを期待すると幻滅してしまうから、そういう、ワクワクを超えた先にある感覚も書きたいんです。
『コズミック・ガール』の科学部も、最初は自分たちの手で火を噴いて飛ぶロケットが作れるってワクワクしてやっていたのを、岳人に厳しい指摘をされて途方に暮れてしまう。それはやっぱり苦しかったと思うんです。それでも試行錯誤をした先に、もっと大きなワクワクすることが待ち受けている。この繰り返しが何かを生み出すからこそ、プロセスを大切に書きたいと思っています。
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青春時代こそ無駄なことをやればいい

――10代の学生たちの苦しい境遇も描かれています。彼らに心を寄せる経験はいかがでしたか?
伊与原:僕は精一杯、そういう境遇の子の気持ちを想像して書いていますが、彼らが何を考えているのか、本当のところはわかりません。でも、院内学級のことや、海外から日本に来ている子どもたちの暮らしなど、話を聞いたり想像したりして書くことで僕自身、勉強になりました。
――10代の子どもたちに、生きる力につながる科学の魅力を伝えていきたいという思いは強くなったのではないでしょうか。
伊与原:科学でも何でもいいんですが、今、試行錯誤や、自分で手を動かして何かを始めるチャンスが若者にあまり与えられていないと思うんですよね。学びが受動的というか、単なる情報受取人になっていて、その楽しさを知らないのはとても悲しいことだと思います。試行錯誤ができる経験が10代のうちにたくさんあるといいなと思って、こういう小説を書いているところがありますね。
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時間もお金も損をしたくないとか、無駄を省く空気に、ちょっと恐ろしさを感じるんですよね。青春時代なんて、一番やらなくてもいいことをやれる時間なのに。だって、糖燃料ロケットなんて打ち上げる必要、ひとつもないですから。コスパもタイパも悪い活動ですよね(笑)。でもそれをやれるからいいんです。大人は、無駄の中から生まれるものが必ずあるってみんな知っているはずなのに、それがちゃんと子どもに伝わっていない感じがします。大人になったら、無駄なことをやると「何の意味があるの?」「儲かるの?」って怒られちゃうんだから(笑)。せめて若い頃は、わけのわからないことをやればいいと思いますね。
小説で科学を伝える中で変わった「科学と社会」に対する考え方
――伊与原さんは、小説家として科学を描いてきて、研究者時代と科学の見方は変わりましたか?
伊与原:視野が広がりました。僕も、こうして偉そうなこと言ってますけど、研究者時代は「これ、論文になるかな?」とか、生産的かどうかをいつも考えていたんですよね。今は現場を離れたことで、生産性のない研究の重要性がよりわかるようになったし、尊いと思うようになりました。
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科学者の説明責任についても考えるようになりましたね。僕が研究していた地球惑星科学って、社会的な意味がはっきりしない分野なんですね。僕自身、「何億年前の地球のことがわかって何の役に立つの?」と言われても「それが科学だから」と思ってやっていたんです。でも今は、その説明は研究者がしないといけないと思うようになりました。僕は、猿橋勝子さんという研究者の評伝小説『翠雨の人』を書いたんですけど、彼女は、原水爆実験による環境汚染を追究していた方です。少し昔の研究者たちはそういうふうに、自分の研究がどう社会の役に立つかを考えている人が多かったと思います。
役に立つかどうかじゃなくても、少なくともその魅力や、この研究でもっと世界が豊かに見えるということを社会の皆さんに言っていかないと。自分が小説を通じて科学者の考えや世界の見え方を伝えようとし始めてから、特にそう思うようになりました。僕の小説に「そんなこと全然知りませんでした」とか、「お月さまを見る目が変わりました」という感想をいただくと、これだけ喜んでもらえるんだから、やっぱり伝えないといけないと思いますね。

取材・文=川辺美希、写真=後藤利江
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