
LGBTQという言葉が社会に浸透した今は、多様性の時代である。だが、いざ、家族や身近な人が性別違和であったら、その事実をどう受け止めればいいのか悩む人は多いのではないだろうか。
性別違和を持つ子と父親の半生を綴った『性別違和に生まれて 父と子で綴った23年』(松永正訓/中央公論新社)は、そんな人にこそ、手に取ってほしい一冊である。
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小3からショートヘアになり、スカートを穿かなくなった娘
著者は小児科医。40歳の頃、解離性脳動脈瘤で倒れ、勤め先の大学病院を辞めて、小児クリニックを開業した。同時期に誕生したのが、娘の光だ。
小学校の卒業式を目前に控えた頃、著者は妻から告げられ、光が性別違和であることを知る。小3からショートヘアになり、スカートを穿かなくなった光。親から見て、“男勝り”と思えていた行動は光なりの女性性に対する抵抗だった。
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我が子が性別違和であることをすぐに受け入れるのは正直、なかなか難しい。ましてや、著者が光の性別違和を知ったのは、LGBTQという言葉が世間に広まっていなかった時代だった。
だが、著者は光の意思を尊重し、我が子が納得できる道を歩ませてあげたいと試行錯誤し始める。
もちろん、その過程では複雑な想いも多々生まれた。小学校の卒業式に光が学ランで出席した時には周りの目が気になり、そんな自分に自己嫌悪。成長期には、男性ホルモンの注射を打ちたいと言わないだろうか…と悩んだそうだ。
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しかし、どんな時も変わらなかったのは光の声を聞きながら、まっすぐ向き合う姿勢。中学生の時には学ランで通えるように学校側へ働きかけ、17歳の光に「乳房を取りたい」という気持ちがあることを知った時には自ら医師を探すなど、我が子が生きやすくなるよう、懸命にサポートした。そんな著者の親心は似た境遇に置かれている人に、深く刺さることだろう。
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女性性に抵抗があるからといって、男性になりたいわけではない
なお、本作では光本人も心の内を綴っている。そこからうかがえるのは、当事者の深い苦悩だ。
引用----
人は、人と関わることで性別が生まれる。どちらにも当てはまらない自分が「バグのついた化け物」だと感じた。
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光の学校生活には、本人にしか分からない苦しみが付きまとった。中学生の頃には第二次性徴を迎える男子たちを見て、「自分は男になりたいわけでもない」と気づき、自身のアイデンティティが分からなくなってしまったという。
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私たちは自分の性が男女という単純な二分化に当てはまると、「他者も同じだろう」と思いやすいし、「性別違和」という言葉を聞くと、生まれ持った性別とは逆の性別がその人の性自認なのだろうと思ってしまう。
だが、無意識レベルのその決めつけは、どちらの性も自分ではないと感じている人を傷つけることに繋がる。そう知るだけでも、性別違和の人に向ける言葉は変わってくるはずだ。
また、本作では性別指向の多様さを考える機会も得られる。恋愛話は、すべての人が性的欲求を抱くことを前提に繰り広げることが多いが、誰にも性的欲求を抱かない人もこの社会にはたしかにいる。
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そうした性的少数派の人に、マジョリティー側の自分は、どんな配慮ができるのだろうか。そう思いながら、本作を読み進めていたところ、光の言葉に頭を殴られた。
引用----
多くのマジョリティーは、性別違和のことを「対岸の火事」だと思っている。だが、私から言わせれば、それはまったく違う。心の中の性別はグラデーションのようなものだ。(中略)「配慮しましょう」と言っている教師だって、そのグラデーションの中にいる。
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たしかに、性自認が女である私の中にも“男っぽい”自分はいる。たまたまその感覚が生きづらいレベルではないだけなのに、「配慮」という言葉ですべてを片付けるのは本当の意味での配慮ではない気がした。
もしかしたら、マジョリティー側の私にまず必要なのは、自分の中にいる別の性別の自分と向き合うことなのかもしれない。そうした自分をどう受け入れるか考えることは、性別違和の人への理解を深めることにも繋がるのではないだろうか。
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“女らしく”いられなくても、“男らしく”あれなくてもいい。人は多面的な生き物だ。そう自分に赦しを与えると、今より優しい視点で性別違和の人が抱える悩みを受け止められるようになるかもしれない。
もし、身近な人が性別違和であったら、その事実をどう受け止めればいいのか。そして、当事者に必要なサポートは何か。そう考えさせられる本作は多様化という言葉だけが広まっているように思える今だからこそ、多くの人に届いてほしい。
文=古川諭香
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