
新しいお店が次々と登場する東京。立ち寄れる喫茶店の選択肢は増えたけれど、忙しい日々の中でふと恋しくなるのは、昔ながらの喫茶店だったりする。
そんな時に手に取りたいのが、『東京文学的喫茶』(甲斐みのり/白泉社)だ。本書には、作家や文学者ゆかりの「昔ながらの喫茶店」が数多く登場する。ページをめくっていると、不思議と「このお店に行ってみたい」と思わされる。
本に実際に登場する純喫茶を訪ねてみることにした。読むだけでは終わらない、“体験する一冊”としての魅力をお届けしたい。

新しいお店が次々と登場する東京。立ち寄れる喫茶店の選択肢は増えたけれど、忙しい日々の中でふと恋しくなるのは、昔ながらの喫茶店だったりする。
そんな時に手に取りたいのが、『東京文学的喫茶』(甲斐みのり/白泉社)だ。本書には、作家や文学者ゆかりの「昔ながらの喫茶店」が数多く登場する。ページをめくっていると、不思議と「このお店に行ってみたい」と思わされる。
本に実際に登場する純喫茶を訪ねてみることにした。読むだけでは終わらない、“体験する一冊”としての魅力をお届けしたい。
午後3時。
バッグに『東京文学的喫茶』を忍ばせ、街に出た。
訪れたのはJR中央線国立駅から徒歩3分ほどの場所にある『ロージナ茶房』だ。

『ロージナ茶房』は、創業から70年以上続く老舗の喫茶店。
駅からすぐの路地に入ると、鮮やかな青い扉が。ゆっくりと扉を開けると、絵画や映画のポスターが目に飛び込んでくる。そこはまるで、昭和にタイムスリップしたかのような空間だ。

村上春樹や安西水丸など、多くの作家や芸術家に愛されたという『ロージナ喫茶』。『東京文学的喫茶』では、壽屋(現・サントリー)に入社し、編集者・コピーライターとして活躍、直木賞作家でもある山口瞳さんが通った店として紹介されている。
店内には、山口さんが愛した席がそのまま残っていた。本の写真を見ながら、同じ席へと向かう。そこは一番厨房に近い席だった。

創設者の末娘の伊藤さんによると、山口さんはこの席に座り、マスターとの会話を楽しんでいたのだという。この場所で、誰もが知る名コピー「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」が生まれたのかもしれないと思うと、思わず気持ちが高揚する。

本を片手に思いをはせていると、伊藤さんが「2階にこの本の表紙を撮影した席がありますよ」と教えてくれた。さっそく、2階へと上がってみる。
案内されたのは、光が差し込む角の席。後ろに飾ってあるのは、山口瞳著『行きつけの店』(新潮文庫)に関連するもので、山口さんと親交のあったカメラマンが撮影した未使用カットだという。こうした、訪れてみなければ出会えないものに巡り合えるのも、街に出る醍醐味だ。

席につき、食事を注文する。まず注文したのは、本の中でも紹介されている「ザイカレー」だ。

「ザイカレー」はひと皿の量が多いことでも知られるロージナ茶房の看板メニューの一つで、一橋大学の学生から長年愛されている。

実際に目の前に現れたカレーは、想像以上のボリュームだ。空腹の学生たちを十分に満たしてくれそうである。ひとくち口に運ぶと、スパイスの香りが口いっぱいに広がる。水が甘く感じるほどの、ピリッとした辛さが後を引く。
カレーを食べた後に欲しくなるのは、やはり甘味だ。『東京文学的喫茶』の表紙にもなった「マロンアントロメ」を注文する。伊藤さんによると、その歴史は50年以上にのぼるという。多くの作家に愛されてきた、店の定番メニューだ。

到着した「マロンアントロメ」のコロンとしたフォルムに思わず見とれる。「表紙になったメニューを頼んでみたの」と、思わず誰かに自慢したくなる。せっかく来たのだから、表紙を飾ったメニューを全て味わってみよう。

「いちごパフェ」に、「カスタードプリン」、そして「マロンアントロメ」。全てが到着すると、自然とほほがゆるむ。

疲れた体に、やさしい甘さがじんわりと染み渡っていく。かつてここに集った作家たちも、甘いものを口にしながら、言葉を紡いでいたのだろうか。

ふと、店内を見渡してみた。最初に目に入ったのは、右奥の席に座る親子連れだ。「ザイカレー」を2つのスプーンで分け合って食べている。さらに奥に視線を移すと、コーヒー片手に仕事に向き合う女性の一人客。その横では、男女2人組が赤ワインを飲みながら微笑みあっていた。少し離れた角の席では、いちごパフェを食べながら新聞を読む年配客の姿もある。それぞれが思い思いにゆったり過ごしている。
今でこそ老若男女に愛される喫茶店だが、伊藤さんは「昔は、喫茶店は男性のものだったんです」と語る。
「創業したての頃は、お客さんは男性ばかりだったと聞いています。うちを訪れて打ち合わせをしていた作家や編集者も男性が多くて、女性や学生の姿は多くなかった。だけど、いつからでしょうか。作家たちが喫茶店で過ごす時間を言葉にしてきたこともあってか、ここは、老若男女問わず誰もが思い思いに過ごせる場所へと変わっていきました」
『ロージナ茶房』で、学生の頃にカレーを食べていた人が、社会人になって打ち合わせでコーヒーを飲みに来る。子どもの頃にパフェを食べていた人が、大人になってお酒を飲みに来る――そんな光景を伊藤さんは見てきた。この店はそれぞれの思い出の中にある「自分の店」になっている。

『東京文学的喫茶』には、山口瞳のこんな言葉が載っている。
引用----
「寿司とソバ屋と、酒屋(私の場合は赤提灯だが)と喫茶店、これを一軒ずつ知っていれば、あとはもういらない」(『東京文学的喫茶』から引用)
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この言葉に思わずハッとさせられる。東京で新しいものばかりを追いかけている日常。『ロージナ茶房』は、いつだってそこにある。訪れる人の時間がどれだけ移ろっても、変わらず同じ場所で迎えてくれる。だからこそ人は何度でも帰ってきたくなるし、作家たちもまた、ここに集うのだ。

紹介した『ロージナ茶房』以外にも、本書には文豪が愛したお店や、絵本や小説に実際に登場する美味しそうなメニューが紹介されている。
詩人・エッセイストの茨木のり子が愛した『COFFEE HALL くぐつ草』は吉祥寺駅にある。茨木さんはここで深煎りのコーヒーを楽しんでいたという。『ロージナ茶房』とともに訪れてみるのもいいかもしれない。

『東京文学的喫茶』は、読むだけでは終わらない。体感する一冊だ。本を片手に、作家たちに思いをはせながら、“自分の店”探しに出かけてみてはいかがだろうか。

取材・文=ダ・ヴィンチWeb編集部 モデル=金子実加 撮影=島本絵梨佳