※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年5月号からの転載です。

「面白いなぁ、と思うのは、書いていくなかで、自分の想像してなかったものが書けたとき」と小原さんは言う。「なかでも意識にあがってこなかった部分が言葉になっていくのが面白いなと」
そんな部分が読む人の無意識の部分と響き合い、何かを起こしているのかもしれない。自費出版にして1万部越えベストセラーとなったエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』も、『これが生活なのかしらん』も、そこに書かれた言葉をお守りのように幾度も辿っている人々がいるということを考えると。
「読者に届きやすいかなというところは考えていなくて。強いて言えば、自分のために書いているようなところがあります」
続きを読む
エッセイで言葉を紡いできた小原さんが数年前から書き始めた小説。4編を収めた『風を飼う方法』は初めての小説集だ。
「エッセイは自分の思い出や記憶と一定の距離を保ったうえで書いていくことが、私にとっては重要なのですが、小説を書いているときは、なぜか心にあるものとの距離が近づいたり、離れたりしていく。それが自分の底の方にタッチする瞬間もあるし、まったく知らないところへ行く瞬間もある。そうした伸び縮みするような運動の起こるのが、小説を書いていて面白いところだなと思います」
離婚し、ひとり暮らしを始めたゆきが、弁当屋で働き始める冒頭の一編「けだるいわあ」は、「さよならとか、別れのあとも大丈夫だと思えるものを書きたい」と書き始めた一作だったという。
続きを読む
「何かを書くとき、そうした方向性をつけて書き始めたのは初めてのことでした。私は自分の気持ちを把握するのが得意じゃなくて。うれしいのか、悲しいのかもわからない、どっちつかずの曖昧な感じがあるんです。だからたとえば、“明るい話を書いてください”と依頼されても難しい。“大丈夫だと思えるものを書きたい”と思ったのは、一緒にいられたらいいなと思えば思うほど、別れが近づいてくる、だからこそ今、一緒にいるために大丈夫だと思えるようになりたいという、当時抱いていた気持ちが書いていたとき、強かったからだと思います」
“けだるいわあ”は、弁当屋の店主・えつこさんの口癖。なぜその言葉を言うのか。“なんの話ですか”“うん。あたしだけの話”。そんな会話が綴られていく。
続きを読む
「以前、美容師をしていたとき、オーナーと2人のお店で働いていたことがあって。その方はえつこさんのような人ではなかったのですが、2人で少し休んでしまうようなときの感覚みたいなものが、体のなかにあったんだと思います。夫を亡くしたえつこさんが独りで弁当屋を営んでいるところには、父の没後、一人で過ごしている母の姿が重なったり」
その光景はなぜか、読む人各々の記憶も引き出し、伴走をし始める。
「みんなにとって知っている世界線、生活の地続きにあるものに私は興味があって。だから小説を書いていても、世界を立ち上げるようなものにはならず、あらすじすら語れない話になっていく。けれどそのなかにすごく重要な瞬間が現れてくる。そういうものに私は興味があるんです」
続きを読む
小説はエッセイより“逃げられなさ”が強い
うだるような午後、ルーフバルコニーで水浴びするおじさんを見かけ、“いいものをみた”という「水浴び」の冒頭の場面は実際に見た光景だという。
「以前、住んでいた家から見える風景が好きで、いつかここを書いてみたいなと。もともとそのおじさんと仲良くなる話を書こうとしていたのですが、主人公は、そのおじさんの部屋に行くのに、なぜ性的なことにならないのか? というところから進まなくなってしまって。その問いを抱えたまま、1年を経て書いたのが、『風を飼う方法』なのですが、『水浴び』は“ただ見る”という距離を保ったまま、心の動きを追っていきました」
シャッターの閉まった店の軒下で、まったく知らない3人が缶チューハイを飲む「カリフラワー」も、自身が経験した雨の夜のことから。
続きを読む
「自分のなかですごくいい夜だなと思った時間があって。エッセイに書いてもいいけど、これは小説にしたいなと。でも書き始めてみたら、“なんでこの子、ここにいるんだろう?”と。ずっと考えていたら、“そうか、この子は喪服を着ているんだ”と」
それがわかってきたところから物語のなかに言葉として現れ、向き合うことになったのは、何となく自分自身がスルーしようとしていたところ。「小説は“逃げられなさ”が強い」。小原さんのそんな実感を表題作「風を飼う方法」は体現している。物語は、どことなく物憂げな主人公、百子の姿から始まっていく。
連れて行きたいところに行けなかったのも私らしさ
「3人の男性が出てきて、その人たちと関係を持っている女の子の話を書きたいというのが起点でした。各々の距離とか、会話とか、感じることから、その子はどういう子なのか、周りからどう影響を受けているんだろうということを書きたいなと。でも書いているうちに“逃げられなさ”が発動した。なぜ私はこんな苦しいことを書かなきゃいけないのかと。けれどこの一作を書き上げられなければ、この先、小説を書いていくことはできないと思ったんです」
続きを読む
同じマンションに住む年上の山彦さん、少し年下の“坊主”、そして同い年の彼、川太郎。3人と関係を持つ百子は一見ライトに見えるけど――。
「普通に生きているときって、自分の無意識のゾーンに触れない方が生きやすかったりする。だから百子も考えない。それで“大丈夫”とはなるんだけれど、時に向き合わざるを得なくなる瞬間も訪れる。この話は、そこからまた日常を少しやり直す、それを繰り返していく話なのかなと。百子ははじめ、ちょっと軽く見えるかもしれませんが、傷ついた人って、“傷ついてます”と言いながら日々暮らしているわけではないですよね。そこにある気持ちの落差を書くことができたのも自分にとってはリアルだったと思っています」
百子が本当に好きで、良い関係を続ける川太郎。だがそこにも――。
続きを読む
「彼は百子にとって暖かな場所ではあるんですけど、暖かいレストランにいるとき、入口が開いて、急に冷たい風が入ってくる瞬間ってあるじゃないですか。川太郎の暖かさって、百子にとって隙間風に“さぶっ”となる暖房の暖かさなのかなって。日光の暖かさではないなと思いながら書いていました。彼はほんとに、絶対にいいやつなんですけれど」
百子が川太郎に感じてしまう隙間風のようなものは誰かといるとき、ふと抱く日常と地続きにある感覚。タイトルに「風」という言葉が現れてきたのは、自分ではどうにもならない、どうしようもないことがあるなか、「それでも生きていく」というイメージを「風」のなかに感じたからだったという。
「百子が“生きたい”と思えるところまで本当は連れて行ってあげたかったんですけど、そこまではできなかった。そうしてしまうと、ほんとうではなくなってしまうのではないかとも。できたらよかったけど、それはできないよなという思いもあります」
続きを読む
手にしただけで愛しさが溢れる装丁の一冊は、「過去の自分に読んでもらいたい」ものになったという。
「どうにもならず、たまらなかった自分に。そしてあの頃の私と同じような、どうにもならないという思いを今、抱えている人たちに、この本のページを開いていただけたらなと」
取材・文:河村道子 写真:山口宏之
おばら·ばん●1996年、東京都生まれ。作家、歌人。2022年、自費出版のエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』が1万部を超えるベストセラーに。大きな話題となり、24年に商業出版化。他の著書にエッセイ集『これが生活なのかしらん』。

『風を飼う方法』
(小原 晩/河出書房新社) 1650円(税込)
続きを読む
ゆきはひとりになって働きはじめ、私は水浴びする男を見つめ、雨の夜に3人は出会い、百子は絶望を抱えたまま暮らしている──。装丁は映像作家もしている岡本太玖斗が担当。「初の小説集は岡本さんにお願いしたいと。紙もフォントもデザインもこだわってくださり、最高の一冊になりました」(小原さん)。手に取りやすいサイズ感も心地良い。初版の表紙に使用した紙は輸入紙のため、重版によっては別の紙になる場合もある。
記事一覧に戻る