
夕食を終えていつものように布団に入ると、医学部に通っていた8歳上の姉が突然叫び声を上げた。姉のうわ言のような叫びは止まず、救急車を呼んだが、翌日父親は「何でもなかった」と姉を連れ帰ってくる。その後も姉は食事中に食卓に飛び乗ったり、妄想に怯えて警察を呼んだりしたが、両親は「問題ない」と言い張る。両親は医師免許をもつ研究者だが、その対応はどう考えても異様だ。弟は疑問に感じ、両親の説得を試みるが上手くはいかず、わだかまりを抱えたまま、実家を離れた。せめてもの抵抗は、帰省のたびにビデオカメラで家族の様子を記録し始めたこと。だが、やがて両親は家のドアに鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになる。そして、結局、姉が統合失調症と診断され、入院することができたのは49歳、発症から25年の月日が経った後のことだった。
そんな家族の壮絶な記録をまとめたのが、ドキュメンタリー映画「どうすればよかったか?」。20年にわたって社会から隔てられた家の中と姉の姿を記録し続けた弟・藤野知明さんによる衝撃作だ。2024年12月の公開以降、大きな反響を呼び、動員は16万人超え。姉の弟への罵声、叫び声から始まるこの映画を観ると、藤野さんの長年の葛藤に息を呑まずにはいられない。会話が噛み合わない姉と、彼女を「普通」と言い張る両親。説得が届かない中でも、両親や姉との対話をあきらめない藤野さんの姿に胸が締め付けられる。この作品を、もう一段深く追体験できるのが書籍版の『どうすればよかったか?』(藤野知明/文藝春秋)。映像では語りきれなかった出来事や、家族への複雑な思いを藤野さんが率直に明かした1冊だ。
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尊敬できる研究者だった両親と、遊び心があり面倒見がよかった姉。かつての穏やかな日常は瞬く間に崩れてしまった。変貌し、引きこもるようになった姉を「正常だ」と言い切り、両親は彼女に論文の手伝いをさせる。藤野さんはそんな家の中で将来への不安に苛まれながら、映画やアニメに傾倒することで、どうにか精神の均衡を保ってきたのだそうだ。本書では、藤野家の歴史とともに監督が抱えてきた胸の内が赤裸々に語られる。悲しみ、怒り、葛藤……。それらの心情とともに映像では表現しきれなかった出来事についても明かされていく。
たとえば、映像ではおさえることができなかったが、藤野さんは、父が姉のお茶にこっそり何かを入れていたのを何度も目撃したのだという。当然姉に許可はなく、病院も受診していないのに、父は姉に何か薬を投与していたのではないか。姉が苦しんでいると分かっていたなら、なぜ「受診」ではなく、違法な手段を選び、さらには彼女を「閉じ込める」ことにしたのだろう。ページをめくるほど、「どうすればよかったか」「どうすれば両親を説得することができたのか」という問いが、読者の中で増幅していく。
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ところが本書では、映画を観た精神科医からの予想外の感想も紹介される。姉が救急搬送された80年代の精神科医療の現場を知る医師に言わせれば「お父さんの判断は正しかった」というのだ。そこには、当時の精神科病院を前提にした、別の現実がある。それでもなお、やはり一日でも早く受診させるべきだったと藤野さんは言う。娘のことを本当に思っていれば受診を決断できた分岐点は、いくつもあったはずだが、どうして決心できなかったのだろう。
姉は2021年、62歳の時に肺がんでこの世を去った。映画の終盤でも扱われた姉の葬儀の場面は違和感を覚えずにはいられない。父親は姉との共同研究の論文を棺に入れ、姉について「有意義な人生を送ったのではないか」と挨拶した。父の中で、姉の記憶は都合よく書き換えられていく。人生とは、家族とは何なのだろうか。身近な存在なのに、理想を押し付けられて、分かり合えない。そのやりきれなさは多かれ少なかれ誰もが経験したことがあるのではないだろうか。
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藤野さんは「我が家は統合失調症を発症した家族の対応の失敗例」だと語るが、統合失調症の当事者やその家族であろうとなかろうと、その失敗は他人事では済まされない。家族とのままならない関係、分かり合えない寂しさ。それでも家族と向き合い続けるすべての人に、この本と映画を届けたい。読み終えたあと、きっとあなたの中にも、あの問いが残る。——どうすればよかったのか。そして、これからどうすればいいのか。
文=アサトーミナミ
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