
漫画『アオアシ』(小学館)の作者・小林有吾さんは一般企業に就職後、漫画家を志し、30歳手前でデビューを果たした。しかし、ご家族を養っていけるほどの大ヒット作は生まれず、『アオアシ』を描くにあたって「本物のプロの漫画家になれていない。今度こそは……」という強い思いがあったという。
担当編集の今野真吾さんは、そんな小林さんについて「その熱い思いを“プロになって母に楽をさせたい”という葦人の気持ちに重ねているのだと思います」と語った。10年間の連載期間で、その思いはどのような形で『アオアシ』に反映されたのだろうか。
作家と編集者の関係に迫る連載「編集者と私」第2回。前半は、お二人のやりとりや、それによって生まれた展開、バルセロナユース戦の裏側を聞いた。後半となる今回はキャラクターの“ハングリー精神”について、多忙ななか複数連載を抱える理由、そしてお互いの魅力や“編集者の存在意義”についてお話しいただいた。
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『アオアシ』がダメだったらもう人生が終わる
ーーデミアンをはじめとするバルセロナの選手たちに限らず、過去には青森星蘭の選手など、東京エスペリオンよりも過酷でハングリーさが求められる環境で育った選手が強敵として立ちはだかりました。先生ご自身の考えとして、過酷な環境に置かれたほうが人は強くなると思われますか?
小林有吾(以下、小林):そうですね、思います。これは僕自身の経験が影響しているのかなと。僕は幼少期にお金がない家で育ち、漫画というものにたまたま出会えて今の仕事に就けましたが「もし実家に漫画がなかったら、人生どうなっていたんだろう」と思うことがあるんです。
「漫画家になってすごく描きたいものがある」というよりは「なんとか現状を変えたい」とか「このままでは人生がダメになるから、すべてをここにぶつけるしかない」とか、そういう感覚でした。そんなハングリー精神の塊みたいな人間が描く漫画なので、そういった面が強く出るのかなと思います。
ーー今野さんも過去のインタビューで「先生はこれまで家族を養えるほどのヒット作が出ていなかった。“今度こそは…”という思いがあったそうだ」と話されていました。
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小林:僕も今野さんも、お互いに「『アオアシ』がダメだったらもう人生が終わる」という感覚があったのだろうと思います。特に連載が始まった頃は余裕もなく、打ち合わせだってものすごく精神的に疲弊するものでした。お互いが面白いと思うものを言うしかない。でも、それが本当に正しいかどうかわからない。そんな状態でしたね。
今野真吾(以下、今野):連載当初、僕は30歳で、小林さんがおっしゃるように「今回ダメだったら、編集者としてもうチャンスが回ってこないかもしれない」という感覚がありました。小林さん、そして『アオアシ』という作品との出会いは、漫画編集人生で初めて巡ってきた超大きなチャンスだと。だから悔いを残してはいけない、という気持ちが強かったですね。

最初から最後まで言いたかったのは「サッカーを見てくれ」ということ
ーーバルセロナユース戦勝利を経て、最終話のことをぜひ伺わせてください。最終話の展開も以前から決まっていたのでしょうか?
小林:最終話のかたちはもう4、5年前に決まっていました。花との関係に決着がついて、1話の最後と同じように、福田監督の「世界へ、連れていってやる。」という言葉で青空を見上げながら終わるというのはもうずっと決めていました。
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ーー「さあ、育成だ」という福田監督の言葉はとても印象でした。「育成」という、ユースを舞台にした本作のテーマをズバっと言ってくれたような。
小林:そうですね。最後までテーマはブレなかったという自負があります。読者の皆様はプロ編や日本代表戦も見たかったのではないかと思うんですが、クラブのユース育成の話を描き切ろうと決めていました。そういう意味では、まあ、1話で提示したことをすべて回収して終われたんじゃないかなと思います。
ーー育成というと、バルサ戦の最終盤に登場した「休日のふとした中で、サッカーの試合をする子供達を見たとする」から始まるモノローグはとても感動的でした。あのモノローグに込めた思いがあればぜひ教えてください。
小林:『アオアシ』を通して最初から最後まで言いたかったのは「サッカーを見てくれ」ということでした。サッカーって、別になくても生きていけるものですよね。ほとんどの人はやったこともない。でも、本当にサッカーって身近にあって世界中で愛されているスポーツなんです。『アオアシ』を読んで、興味がなかった人にも、サッカーを日常の中で意識してみてほしい。そんなメッセージを込めてあのモノローグを描きました。
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小林先生は読者より“少しだけ先に進んでいる”
ーーここからは『アオアシ』以外のこともお聞かせください。今野さんは『アオアシ』連載開始以前から小林先生のファンで『水の森』(講談社)を読んで涙が止まらなかった、と話されていたそうですね。今野さんにお伺いしたいのですが、小林先生の漫画家としての魅力をあえて言葉にすると、どういった点でしょうか?
今野:漫画家って「先生」と呼ばれるじゃないですか。「先に生きる」と書きますよね。読者よりも先に生きて「こういう道があるんだよ」とか「この先はこういう風景だよ」と読者に言えるのが小林さんの魅力かなと思います。それって、コマ割りや絵が上手いとかそういう話ではなくて、どういう人間観を持っているのか、どんなことを考えて生きているかが大切なのかなと。
小林:僕のような作風の場合、人並外れた感覚を持って描いても、そんなにたくさんの人には読んでもらえないだろうと思うんです。「読者はこう考えるだろう」みたいなことをある程度読んで、そのうえで想像の数ページ先まで用意することの繰り返しで。だから、言われてみれば確かに「少しだけ先に進んでいる」とも言えるかもしれません。
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ーー小林先生がたくさん考えられて作品を描いているのと同様に、『アオアシ』や『フェルマーの料理』など、作品内でも「登場人物が思考すること」が重要なポイントになっていますよね。
小林:そうですね。僕自身が本当に理屈っぽい、計算するタイプの人間なので、今後も作風の根幹としてそれが大きく変わることはないのかなと思います。もっと日常的というか本当に何も考えずに描けるような漫画だったらそこから離れるかもしれませんが、なにか題材があって強いドラマを描くとなると、そこからは目をそむけられないと思います。
ーー今野さんは、登場人物たちが思考をたくさん巡らせる、小林先生の作風をどのように捉えられていますか?
今野:小林さんの作品に登場する人々は、みんなすごく誠実なんです。僕だったら「もう考えるの面倒臭いからこっちでいいや」となりそうなところで、彼らは「どちらにいくべきか」をものすごく突き詰める。それは本当に誠実な行為だと思うし、彼らには小林さんの誠実さが反映されているのだと、勝手ながら思っています。
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「休まなくても描ける」と示したかった
ーー小林先生の誠実さといえば、「『ショート・ピースIII』を描くにあたって決めたことは、『アオアシ』を休まない」というお話がありました。そもそも週刊連載を続けながら、まとまった量の読み切りを描くってものすごく大変だと思うのですが、やはり『アオアシ』読者への誠実さ、のようなものがそうさせたのでしょうか?
小林:そうですね…誠実なのでしょうね(笑)。いやでも、休むという発想はもう全くありませんでした。『ショート・ピースIII』を描かせてもらいたいとこちらからお願いしているので、『アオアシ』に迷惑をかけることは絶対したくないと。

ーーしかも、2018年に『フェルマーの料理』の月刊連載がスタート、さらに2021年からは『アオアシ ブラザーフット』も始まりました。週刊連載ひとつでもものすごく大変な中、なぜ複数連載にチャレンジするのでしょうか?
小林:『アオアシ』を続ける中でネームにもそんなに迷わなくなったので、週に1日ぐらい時間ができたんですよ。月で換算すると4日ぐらいできると。「あれ?もう1本これは描ける!」となりまして。
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ーー時間ができたから休む、という発想は…?
小林:僕は休んでもやることがないんですよね(笑)。漫画を描いているときが一番自分らしいと思っていて。『アオアシ』を絶対に休まないでもう1作描くことは自然な流れだったというか。あと「休まなくても描ける」と示したかったのもありました。僕は、連載漫画があんまり休載になってほしくないんですよ。だって、読者の方々は毎週読みたいですよね?
ーーまあそうですね。週刊漫画誌をパラパラめくって目当ての作品が休載だとガッカリしたりします。
小林:そうですよね。だから、少なくとも僕は自分の作品を読んでくれる読者さんに、そんな思いをしてほしくないんです。
面白い漫画を描きたいので、そのためには手段を選ばない
ーー最後にひとつお聞かせください。この10年間、一緒に仕事をされてきて、小林先生にとって今野さんはどんな存在ですか?
小林:僕はすごく論理的に話を考えて、言語化をするのが得意なタイプ。それと真逆なのが今野さんでした。今日も話題に出た「なんだかイヤだな」という、もやっとした言葉にならない感覚。それは僕が持ち合わせていないものでした。僕の見た景色からはお目にかかれないような違和感を彼が察してくれて『アオアシ』という作品が完成したんです。『アオアシ』は今野さんと作りました。もうそれは間違いないです。
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ーー漫画家と編集者、二人三脚で作る方もいれば「編集者は不要」という作家さんもいます。様々なスタンスがあると思いますが、小林先生は編集者の存在をどのように考えていますか?
小林:僕が絶対的に信じているのは、ひとりの人間の頭で考えるものには限界があるということです。どんな天才漫画家や巨匠でも、その限界は超えられないと思うんです。だから、作者の頭に編集者がどれだけ入っていけるかが重要で。優れた編集者がいるのが、名作の条件のひとつだと僕は思っています。
ーー今日のお話でも、今野さんとたくさんバトルをしたと。しんどかったけど、でもそのバトルの末にいい展開がたくさん生まれたということでした。
小林:そうですね。ひとりきりで気持ちよく描けたらラクですが、俺は面白い漫画を描きたいので、そのためには手段を選ばないと決めています。『アオアシ』は今野さんと作品についてたくさん話せてよかった。だから、世の編集者さんは、作家に遠慮なく人間としてぶつかってほしいなと思いますね。
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ーーありがとうございます。今野さんは10年を振り返っていかがでしたか?
今野:陳腐な言葉ですが、かけがえのない10年でした。幸せだった。小林さんという希代の漫画家の大ヒット作に携わらせてもらうことができて、ものすごくラッキーだった。僕は本当に、ただ「なんだかイヤ」とか言っていただけですが(笑)。それでも得がたいものを経験させてもらったから、今後それを世の中に返していく番だな、みたいなことを思うようになりました。
ーーありがとうございます。2026念には『アオアシ』のアニメ2期も始まりますし、お2人での仕事は続くのだと思いますが、打ち上げで飲みに行ったりしないんですか?
小林:え、打ち上げですか(笑)。しますか?
今野:これ以上話すことがあるのかというぐらいたくさん話したので(笑)。でも、まだまだ話すべきことがあるはずですので、これからもよろしくお願いします。
取材・文=金沢俊吾
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