
「夜逃げ」と聞くと、どこか非日常的で、自分とは無縁の世界のように感じられるかもしれない。『夜逃げ屋日記』(宮野シンイチ/KADOKAWA)は、“夜逃げ屋”として働いた実体験をもとに描かれたそんな先入観を覆すコミックエッセイである。
作中で描かれる「夜逃げ屋」とは、DVに苦しんでいる人、毒親などから逃れたい人などの転居を支援する、いわば“逃げるための引っ越し業者”。荷物の運び出しや転居先の手配、不用品の処分に加え、盗聴器やGPSの除去といった安全対策まで、依頼者の生活環境をまるごと切り替えるための、徹底したトータルサポートが行われている。
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扱う案件が非常にセンシティブであるため、現場には常に緊張感が漂う。ときには危険も伴う。それでも依頼者の新たな一歩を支えるために、夜逃げ屋たちは淡々と、そして丁寧に仕事をこなしていく。
本作では、そうした現場のリアルが赤裸々に描かれており、特に印象的なのは、“夜逃げ”の多くが実は「昼間」に行われているという事実だ。家族が不在となる時間帯を見計らい、安全に配慮しながら、限られた時間の中で生活の拠点を移していくのだ。
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夜逃げの理由は、家庭内暴力やモラハラ、経済的困窮など、さまざま。一見、普通の家庭でも、実際にはそういった問題を抱えていることもあるのだ。家族という最も身近な共同体のなかで起こる支配、暴力、孤立。そうした目に見えにくい問題に苦しみながらも、自らの意志で一歩を踏み出そうとする人たちにとって、「夜逃げ屋」という存在がどれほど必要とされているか。ページをめくるごとに、そのことが静かに胸に迫ってくるだろう。
今、悩みを抱えている誰かにとっての選択肢のひとつとして。そして、もしもの時の“支えのかたち”として。この作品を通して、こんなサポートが世の中に存在することを、もっと多くの人に知ってほしいと願わずにはいられない。
文=ネゴト / すずかん
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