
「本当にこれでいいのだろうか」と、何度思わされただろう。メランコリックな空気を漂わせながらも、どこか前向きで、だからこそ、どんな顔をしていいのか分からない。退廃的でどこか投げやりな毎日。痛々しい失恋と、ずるずるとスタートした新しい恋。別々に暮らしているのに、どうしてこの双子の日々は、こうも似てしまうのだろう。
第31回電撃小説大賞 メディアワークス文庫賞&川原礫賞をW受賞した『古典確率では説明できない双子の相関やそれに関わる現象』(東堂杏子/メディアワークス文庫/KADOKAWA)は、そうやって読む者を困惑させる怪作。どこに連れていかれるかも分からない物語展開に一気読み必至の1冊だ。
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主人公は、斉藤勇魚(いさな)と斉藤真魚(まな)、男女の双生児。ともに20歳の大学生だ。実家を離れて広島の大学に通う勇魚は、半年前、彼女を親友に寝取られてからというもの、気分が晴れない。勇魚が唯一心から笑えるのは、隣の部屋に住んでいるひとつ年上の飯田さんのために彼女の好きな甘い卵焼きを焼いている時と、彼女の暮らす廃墟部屋の生ゴミを片付けている時だけ。そんなある時、北九州の実家で暮らす真魚から、母親が年の離れた弟を無事出産したことを知らせる電話がかかってくる。勇魚はすぐに実家に帰ろうとするのだが、どうしても帰れない事情ができてしまい……。
兄妹の、特に別居している双子の距離感というのはどの程度が普通なのだろう。勇魚と真魚は離れて暮らしているが、各種SNSは相互フォロー。友だちと変わらないような関係を築き上げている。そんな双子に年の離れた弟が生まれた。喜ぶべき状況のはずなのに、この物語は不穏。弁護士家系に生まれながらも自由に育てられた結果、劣等生扱いされている兄妹。彼らが経験する失恋と、ただれた関係。ふたりが見つめ続ける母親の姿と、どうにも噛み合わない会話……。どうしてこうも圧倒的な解像度で、人間の姿を描けてしまうのか。兄妹の姿も、親も、恋人も、友人も、すべての人間が圧倒的なリアリティで描き出されて、目眩がしてくるほど。描かれているのは、人間のダメな姿。ゾッとさせられるような残酷さ。そこに綺麗事はなく、すべてが生々しく描き出されている。
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だが、その人間の等身大の姿に、苦しいほど、共感してしまうのはなぜだろうか。この物語の登場人物は、双子に限らず、どこか不安定。彼らは、目の前の問題から目を背けるように心地よい方向に進んでいき、はたから見れば、「それでいいのか」と疑問に感じる場面だって少なくはない。それなのに、分かりたくないのに、彼らの気持ちが、行動が、ふと分かってしまう。人間一人ひとりが持つ、ダメなところ、残酷なところに共感してしまう自分に気づかされ、呼吸をするのも苦しい。読み終えた時、打ちのめされたような気分にさせられるのはきっと私だけではないはずだ。
きっと、この物語は、今の10代、20代の若者に刺さるに違いない。読めば読むほど、感じる痛みに、「分かる」と思わずにはいられなくなる。正反対であるはずの双子の、相似を描くような恋と青春。出会いと離別の季節にこそ、この本を、この痛みを、ぜひ。
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文=アサトーミナミ
◆『古典確率では説明できない双子の相関やそれに関わる現象』詳細ページ
https://mwbunko.com/special/kotenkakuritsu/
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